Capítulo 86 de 122
正法眼藏第七十二 安居 · 1
先師天童古佛、結夏小參云、平地起骨堆、虛空剜窟籠。驀透兩重關、拈却黒漆桶(先師天童古佛、結夏の小參に云く、平地に骨堆を起し、虛空に窟籠を剜る。驀に兩重の關を透すれば、黒漆桶を拈却せり)。
しかあれば、得遮巴鼻子了、未免喫飯伸脚睡、在這裏三十年(遮の巴鼻子を得ぬれば、未だ免れず飯を喫しては脚を伸べて睡り、這裏に在つて三十年することを)なり。すでにかくのごとくなるゆゑに、打併調度、いとまゆるくせず。その調度に九夏安居あり。これ佛佛祖祖の頂𩕳面目なり。皮肉骨髓に親曾しきたれり。佛祖の眼睛頂𩕳を拈來して、九夏の日月とせり。安居一枚、すなはち佛佛祖祖と喚作せるものなり。
安居の頭尾、これ佛祖なり。このほかさらに寸土なし、大地なし。夏安居の一橛、これ新にあらず舊にあらず、來にあらず去にあらず。その量は拳頭量なり、その樣は巴鼻樣なり。しかあれども、結夏のゆゑにきたる、虛空塞破せり、あまれる十方あらず。解夏のゆゑにさる、迊地を裂破す、のこれる寸土あらず。このゆゑに結夏の公案現成する、きたるに相似なり。解夏の籮籠打破する、さるに相似なり。かくのごとくなれども、親曾の面面ともに結解を罣礙するのみなり。萬里無寸草なり、還吾九十日飯錢來(吾れに九十日の飯錢を還し來れ)なり。
黄檗死心和尚云、山僧行脚三十餘年、以九十日爲一夏。増一日也不得、減一日也不得(黄檗死心和尚云く、山僧行脚すること三十餘年、九十日を以て一夏と爲す。一日を増すこと也た不得なり、一日を減ずること也た不得なり)。
しかあれば、三十餘年の行脚眼、わづかに見徹するところ、九十日爲一夏安居のみなり。たとひ増一日せんとすとも、九十日かへりきたりて競頭參すべし。たとひ減一日せんとすといふとも、九十日かへりきたりて競頭參するものなり。さらに九十日の窟籠を跳脱すべからず。この跳脱は、九十日の窟籠を手脚として𨁝跳するのみなり。九十日爲一夏は、我箇裏の調度なりといへども、佛祖のみづからはじめてなせるにあらざるがゆゑに、佛佛祖祖、嫡嫡正稟して今日にいたれり。
しかあれば、夏安居にあふは諸佛諸祖にあふなり。夏安居にあふは見佛見祖なり。夏安居ひさしく作佛祖せるなり。この九十日爲一夏、その時量たとひ頂𩕳量なりといへども、一劫十劫のみにあらず、百千無量劫のみにあらざるなり。餘時は百千無量等の劫波に使得せらる、九十日は百千無量等の劫波を使得するゆゑに、無量劫波たとひ九十日にあふて見佛すとも、九十日かならずしも劫波にかかはれず。
しかあれば參學すべし、九十日爲一夏は眼睛量なるのみなり。身心安居者それまたかくのごとし。夏安居の活鱍鱍地を使得し、夏安居の活鱍鱍地を跳脱せる、來處あり、職由ありといへども、他方他時よりきたりうつれるにあらず、當處當時より起興するにあらず。來處を把定すれば九十日たちまちにきたる、職由を摸索すれば九十日たちまちにきたる。凡聖これを窟宅とせり、命根とせりといへども、はるかに凡聖の境界を超越せり。思量分別のおよぶところにあらず、不思量分別のおよぶところにあらず、思量不思量の不及のみにあらず。
世尊在摩竭陀國、爲衆説法。是時將欲白夏、乃謂阿難曰、諸大弟子、人天四衆、我常説法、不生敬仰。我今入因沙臼室中、坐夏九旬。忽有人、來問法之時、汝代爲我説、一切法不生、一切法不滅(世尊、摩竭陀國に在して衆の爲に説法したまふ。是の時まさに白夏せんとしたまひて、乃ち阿難に謂つて曰はく、諸大弟子、人天四衆、我れ常に説法すれども敬仰を生ぜず。我れ今因沙臼室中に入つて坐夏九旬すべし。忽ちに人有り、來つて法を問はん時、汝代つて我が爲に説くべし、一切法不生、一切法不滅と)。
言訖掩室而坐(言ひ訖つて掩室して坐したまふ)。
しかありしよりこのかた、すでに二千一百九十四年[當日本寛元三年乙巳歳]なり。堂奥にいらざる兒孫、おほく摩竭掩室を無言説の證據とせり。いま邪黨おもはくは、掩室坐夏の佛意は、それ言説をもちゐるはことごとく實にあらず、善巧方便なり。至理は言語道斷し、心行處滅なり。このゆゑに、無言無心は至理にかなふべし、有言有念は非理なり。このゆゑに、掩室坐夏九旬のあひだ、人跡を斷絶せるなりとのみいひいふなり。これらのともがらのいふところ、おほきに世尊の佛意に孤負せり。
いはゆる、もし言語道斷、心行處滅を論ぜば、一切の治生産業みな言語道斷し、心行處滅なり。言語道斷とは、一切の言語をいふ。心行處滅とは、一切の心行をいふ。いはんやこの因緣、もとより無言をたうとびんためにはあらず。通身ひとへに泥水し入草して、説法度人いまだのがれず、轉法拯物いまだのがれざるのみなり。もし兒孫と稱ずるともがら、坐夏九旬を無言説なりといはば、還吾九旬坐夏來(吾れに九旬坐夏を還し來るべし)といふべし。
阿難に敕令していはく、汝代爲我説、一切法不生、一切法不滅と代説せしむ。この佛儀、いたづらにすごすべからず。おほよそ、掩室坐夏、いかでか無言無説なりとせん。しばらく、もし阿難として當時すなはち世尊に白すべし、一切法不生、一切法不滅。作麼生説。縱説恁麼、要作什麼(一切法不生、一切法不滅。作麼生か説かん。縱ひ恁麼に説くも、什麼を作すことをか要せん)。かくのごとく白して、世尊の道を聽取すべし。
おほよそ而今の一段の佛儀、これ説法轉法の第一義諦、第一無諦なり。さらに無言説の證據とすべからず。もしこれを無言説とせば、可憐三尺龍泉劒、徒掛陶家壁上梭(憐れむべし三尺龍泉の劒、徒らに掛る陶家壁上の梭)ならん。
しかあればすなはち、九旬坐夏は古轉法輪なり、古佛祖なり。而今の因緣のなかに、時將欲白夏とあり。しるべし、のがれずおこなはるる九旬坐夏安居なり、これをのがるるは外道なり。
おほよそ世尊在世には、あるいは忉利天にして九旬安居し、あるいは耆闍崛山靜室中にして五百比丘とともに安居す。五天竺國のあひだ、ところを論ぜず、ときいたれば白夏安居し、九夏安居おこなはれき。いま現在せる佛祖、もとも一大事としておこなはるるところなり。これ修證の無上道なり。梵網經中に冬安居あれども、その法つたはれず、九夏安居の法のみつたはれり。正傳まのあたり五十一世なり。
淸規云、行脚人欲就處所結夏、須於半月前掛搭。所貴茶湯人事、不倉卒(淸規に云く、行脚の人、處所に就て結夏せんと欲はば、須らく半月前に於て掛搭すべし。貴するところは、茶湯人事倉卒ならざらんことを)。
いはゆる半月前とは、三月下旬をいふ。しかあれば、三月内にきたり掛搭すべきなり。すでに四月一日よりは、比丘僧ありきせず。諸方の接待および諸寺の旦過、みな門を鎖せり。しかあれば、四月一日よりは、雲衲みな寺院に安居せり、庵裡に掛搭せり。あるいは白衣舍に安居せる、先例なり。これ佛祖の儀なり、慕古し修行すべし。拳頭鼻孔、みな面面に寺院をしめて、安居のところに掛搭せり。
しかあるを、魔儻いはく、大乘の見解、それ要樞なるべし。夏安居は聲聞の行儀なり、あながちに修習すべからず。かくのごとくいふともがらは、かつて佛法を見聞せざるなり。阿耨多羅三藐三菩提、これ九旬安居坐夏なり。たとひ大乘小乘の至極ありとも、九旬安居の枝葉花菓なり。
四月三日の粥罷より、はじめてことをおこなふといへども、堂司あらかじめ四月一日より戒臘の榜を理會す。すでに四月三日の粥罷に、戒臘牌を衆寮前にかく。いはゆる前門の下間の窓外にかく。寮窓みな櫺子なり。粥罷にこれをかけ、放參鐘ののち、これををさむ。三日より五日にいたるまでこれをかく。をさむる時節、かくる時節、おなじ。
かの榜、かく式あり。知事頭首によらず、戒臘のままにかくなり。諸方にして頭首知事をへたらんは、おのおの首座監寺とかくなり。數職をつとめたらんなかには、そのうちにつとめておほきならん職をかくべし。かつて住持をへたらんは、某甲西堂とかく。小院の住持をつとめたりといへども、雲水にしられざるは、しばしばこれをかくして稱ぜず。もし師の會裏にしては、西堂なるもの、西堂の儀なし。某甲上座とかく例もあり。おほくは衣鉢侍者寮に歇息する、勝躅なり。さらに衣鉢侍者に充し、あるいは燒香侍者に充する、舊例なり。いはんやその餘の職、いづれも師命にしたがふなり。他人の弟子のきたれるが、小院の住持をつとめたりといへども、おほきなる寺院にては、なほ首座書記、都寺監寺等に請ずるは、依例なり、芳躅なり。小院の小職をつとめたるを稱ずるをば、叢林わらふなり。よき人は、住持をへたる、なほ小院をばかくして稱ぜざるなり。榜式かくのごとし。
某國某州某山某寺、今夏結夏海衆、戒臘如後。
陳如尊者
堂頭和尚
建保元戒
某甲上座 某甲藏主
某甲上座 某甲上座
建保二戒
某甲西堂 某甲維那
某甲首座 某甲知客
某甲上座 某甲浴主
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