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Capítulo 84 de 122

正法眼藏第七十 虛空

這裏是什麼處在のゆゑに、道現成をして佛祖ならしむ。佛祖の道現成、おのれづから嫡嫡するゆゑに、皮肉骨髓の渾身せる、掛虛空なり。虛空は、二十空等の群にあらず。おほよそ、空ただ二十空のみならんや、八萬四千空あり、およびそこばくあるべし。

撫州石鞏慧藏禪師、問西堂智藏禪師、汝還解捉得虛空麼(撫州石鞏慧藏禪師、西堂智藏禪師に問ふ、汝還た虛空を捉得せんことを解する麼)。

西堂曰、解捉得(捉得せんことを解す)。

師曰、儞作麼生捉(儞作麼生か捉する)。

西堂以手撮虛空(西堂、手を以て虛空を撮す)。

師曰、儞不解捉虛空(儞虛空を捉せんことを解せず)。

西堂曰、師兄作麼生捉(師兄作麼生か捉する)。

師把西堂鼻孔拽(師、西堂が鼻孔を把りて拽く)。

西堂作忍痛聲曰、太殺人、拽人鼻孔、直得脱去(西堂、忍痛の聲を作して曰く、太殺人、人の鼻孔を拽いて、直得脱去す)。

師曰、直得恁地捉始得(直に恁地に捉することを得て始得ならん)。

石鞏道の汝還解捉得虛空麼。

なんぢまた通身是手眼なりやと問著するなり。

西堂道の解捉得。

虛空一塊觸而染汚なり。染汚よりこのかた、虛空落地しきたれり。

石鞏道の儞作麼生捉。

換作如如、早是變了也(換んで如如と作すも、早く是れ變じ了りぬ)なり。しかもかくのごとくなりといへども、隨變而如去也(變るに隨ひて如にして去る也)なり。

西堂以手撮虛空。

只會騎虎頭、未會把虎尾(ただ虎頭に騎るを會して、未だ虎尾を把るを會せず)なり。

石鞏道、儞不解捉虛空。

ただ不解捉のみにあらず、虛空也未夢見在なり。しかもかくのごとくなりといへども、年代深遠、不欲爲伊擧似(伊が爲に擧似せんと欲はず)なり。

西堂道、師兄作麼生。

和尚也道取一半、莫全靠某甲(和尚も也た一半を道取すべし、全く某甲に靠ること莫かれ)なり。

石鞏把西堂鼻孔拽。

しばらく參學すべし、西堂の鼻孔に石鞏藏身せり。あるいは鼻孔拽石鞏の道現成あり。しかもかくのごとくなりといへども、虛空一團、磕著築著なり。

西堂作忍痛聲曰、太殺人、拽人鼻孔、直得脱去。

從來は人にあふとおもへども、たちまちに自己にあふことをえたり。しかあれども、染汚自己卽不得(自己を染汚することは卽ち得ず)なり、修己すべし。

石鞏道、直得恁地捉始得。

恁地捉始得はなきにあらず、ただし石鞏と石鞏と、共出一隻手の捉得なし。虛空と虛空と、共出一隻手の捉得あらざるがゆゑに、いまだみづからの費力をからず。

おほよそ盡界には、容虛空の間隙なしといへども、この一段の因緣、ひさしく虛空の霹靂をなせり。石鞏、西堂よりのち、五家の宗匠と稱ずる參學おほしといへども、虛空を見聞測度せるまれなり。石鞏、西堂より前後に、弄虛空を擬するともがら面面なれども、著手せるすくなし。石鞏は虛空をとれり、西堂は虛空を覰見せず。大佛まさに石鞏に爲道すべし、いはゆるそのかみ西堂の鼻孔をとる、捉虛空なるべくは、みづから石鞏の鼻孔をとるべし。指頭をもて指頭をとることを會取すべし。しかあれども、石鞏いささか捉虛空の威儀をしれり。たとひ捉虛空の好手なりとも、虛空の内外を參學すべし。虛空の殺活を參學すべし。虛空の輕重をしるべし。佛佛祖祖の功夫辨道、發心修證、道取問取、すなはち捉虛空なると保任すべし。

先師天童古佛曰、渾身似口掛虛空(渾身口に似て虛空に掛る)。

あきらかにしりぬ、虛空の渾身は虛空にかかれり。

洪州西山亮座主、因參馬祖。祖問、講什麼經(洪州西山の亮座主、因みに馬祖に參ず。祖問ふ、什麼經をか講ずる)。

師曰、心經。

祖曰、將什麼講(什麼を將てか講ずる)。

師曰、將心講(心を將て講ず)。

祖曰、心如工伎兒、意如和伎者。六識爲伴侶、爭解講得經(心は工伎兒の如く、意は和伎者の如し。六識伴侶たり、爭でか經を講得することを解せん)。

師曰、心既講不得、莫是虛空講得麼(心既に講不得ならば、是れ虛空講得すること莫き麼)。

祖曰、却是虛空講得(却つて是れ虛空講得せん)。

師拂袖而退(師、拂袖して退く)。

祖召云、座主。

師廻首(師、廻首す)。

祖曰、從生至老、只是這箇(生より老に至るまで、只是這箇)。

師因而有省。遂隱西山、更無消息(師、因みに省有り。遂に西山に隱れて更に消息無し)。

しかあればすなはち、佛祖はともに講經者なり。講經はかならず虛空なり。虛空にあらざれば一經をも講ずることをえざるなり。心經を講ずるにも、身經を講ずるにも、ともに虛空をもて講ずるなり。虛空をもて思量を現成し、不思量を現成せり。有師智をなし、無師智をなす。生知をなし、學而知をなす、ともに虛空なり。作佛作祖、おなじく虛空なるべし。

第二十一祖婆修盤頭尊者道、

心同虛空界、

示等虛空法。

證得虛空時、

無是無非法。

(心は虛空界に同じ、等虛空の法を示す。虛空を證得する時、是も無く非法も無し。)

いま壁面人と人面壁と、相逢相見する牆壁心、枯木心、これはこれ虛空界なり。應以此身得度者、卽現此身、而爲説法、これ示等虛空法なり。應以他身得度者、卽現他身、而爲説法、これ示等虛空法なり。被十二時使、および使得十二時、これ證得虛空時なり。石頭大底大、石頭小底小、これ無是無非法なり。

かくのごとくの虛空、しばらくこれを正法眼藏涅槃妙心と參究するのみなり。

正法眼藏虛空第七十

爾時寛元三年乙巳三月六日在越宇大佛寺示衆

弘安二年己卯五月十七日在同國中濱新善光寺書寫之 義雲

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正法眼藏第七十 虛空 · Shōbōgenzō (Tesoro del ojo del verdadero Dharma) — Dōgen · The Conscious Library