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Capítulo 73 de 122

正法眼藏第五十九 家常

おほよそ佛祖の屋裡には、茶飯これ家常なり。この茶飯の儀、ひさしくつたはれて而今の現成なり。このゆゑに、佛祖茶飯の活計きたれるなり。

大陽山楷和尚、問投子曰、佛祖意句、如家常茶飯。離此之餘、還有爲人言句也無(大陽山楷和尚、投子に問うて曰く、佛祖の意句は、家常茶飯の如し。此れと離れて餘に、還た爲人の言句有りや無や)。

投子曰、汝道、寰中天子敕、還假禹湯堯舜也無(汝道ふべし、寰中の天子敕するに、還た禹湯堯舜を假るや無や)。

大陽擬開口(大陽、開口を擬す)。

投子拈拂子掩師口曰、汝發意來時、早有三十棒分也(投子、拂子を拈じて師の口を掩ひて曰く、汝發意せしよりこのかた、早く三十棒の分有り)。

大陽於此開悟、禮拜便行(大陽、此に開悟し、禮拜して便ち行く)。

投子曰、且來闍梨。

大陽竟不囘頭(大陽、竟に囘頭せず)。

投子曰、子到不疑之地耶(子不疑の地に到れりや)。

大陽以手掩耳而去(大陽、手を以て耳を掩ひて去る)。

しかあれば、あきらかに保任すべし、佛祖意句は、佛祖家常の茶飯なり。家常の麁茶淡飯は、佛意祖句なり。佛祖は茶飯をつくる。茶飯、佛祖を保任せしむ。しかあれども、このほかの茶飯力をからず、このうちの佛祖力をつひやさざるのみなり。還假禹湯堯舜也無の見示を、功夫參學すべきなり。

離此之餘、還有爲人言句也無。この問頭の頂𩕳を參跳すべし。跳得也、跳不得也と試參看すべし。

南嶽山石頭庵無際大師いはく、吾結草庵無寶貝。飯了從容圖睡快(吾れ草庵を結ぶに寶貝無し。飯了には從容として睡快を圖る)。

道來道去、道來去する飯了は、參飽佛祖意句なり。未飯なるは未飽參なり。しかあるに、この飯了從容の道理は、飯先にも現成す、飯中にも現成す、飯後にも現成す。飯了の屋裡に喫飯ありと錯認する、四五升の參學なり。

先師古佛示衆曰、記得、僧問百丈、如何是奇特事。百丈曰、獨坐大雄峰(先師古佛示衆に曰く、記得す、僧、百丈に問ふ、如何ならんか是れ奇特の事。百丈曰く、獨坐大雄峰)。

大衆不得動著、且教坐殺者漢。今日忽有人問淨上座、如何是奇特事。只向他道、有甚奇特事。畢竟如何。淨慈鉢盂、移過天童喫飯(大衆、動著すること得ざれ、且く者漢を坐殺せしめん。今日忽ちに人有つて淨上座に問はん、如何ならんか是れ奇特の事と。ただ他に向つて道ふべし、甚の奇特の事か有らん。畢竟如何。淨慈の鉢盂、天童に移過して喫飯す)。

佛祖の家裏にかならず奇特事あり。いはゆる獨坐大雄峰なり。いま坐殺者漢せしむるにあふとも、なほこれ奇特事なり。さらにかれよりも奇特なるあり、いはゆる淨慈鉢盂、移過天童喫飯なり。奇特事は條條面面みな喫飯なり。しかあれば、獨坐大雄峰すなはちこれ喫飯なり。鉢盂は喫飯用なり、喫飯用は鉢盂なり。このゆゑに淨慈鉢盂なり、天童喫飯なり。飽了知飯あり、喫飯了飽あり。知了飽飯あり、飽了更喫飯あり。しばらく作麼生ならんかこれ鉢盂。おもはくは、祗是木頭にあらず、黒如漆にあらず。頑石ならんや、鐵漢ならんや。無底なり、無鼻孔なり。一口呑虛空、虛空合掌受なり。

先師古佛、ちなみに台州瑞巖淨土禪院の方丈にして示衆するにいはく、飢來喫飯、困來打眠。爐韛亙天(飢來れば喫飯し、困來れば打眠す。爐韛亙天なり)。

いはゆる飢來は、喫飯來人の活計なり。未曾喫飯人は、飢不得なり。

しかあればしるべし、飢一家常ならんわれは、飯了人なりと決定すべし。困來は困中又困なるべし。困の頂𩕳上より全跳しきたれり。このゆゑに、渾身の活計に、都撥轉渾身せらるる而今なり。打眠は佛眼法眼、慧眼祖眼、露柱燈籠眼を假借して打眠するなり。

先師古佛、ちなみに台州瑞巖寺より臨安府淨慈寺の請におもむきて、上堂にいはく、

半年喫飯坐鞔峰。

坐斷烟雲千萬里。

忽地一聲轟霹靂、

帝郷春色杏花紅。

(半年喫飯して鞔峰に坐す。坐斷す烟雲千萬里。忽地の一聲轟霹靂、帝郷の春色杏花紅なり。)

佛代化儀の佛祖、その化みなこれ坐鞔峰喫飯なり。續佛慧命の參究、これ喫飯の活計見成なり。坐鞔峰の半年、これを喫飯といふ。坐斷する烟雲いくかさなりといふことをしらず。一聲の霹靂たとひ忽地なりとも、杏花の春色くれなゐなるのみなり。帝郷といふは、いまの赤赤條條なり。これらの恁麼は喫飯なり。鞔峰は瑞巖寺の峰の名なり。

先師古佛、ちなみに明州慶元府の瑞巖寺の佛殿にして示衆するにいはく、黄金妙相、著衣喫飯、因我禮儞。早眠晏起。咦。談玄説妙太無端。切忌拈花自熱瞞(黄金の妙相著衣喫飯、我に因つて儞を禮す。早眠晏起。咦。談玄説妙太だ無端なり。切忌すらくは拈花自から熱瞞することを)。

たちまちに透擔來すべし、黄金妙相といふは、著衣喫飯なり、著衣喫飯は黄金妙相なり。さらにたれ人の著衣喫飯すると摸索せざれ、たれ人の黄金妙相なるといふことなかれ。かくのごとくするはこれ道著なり。因我禮儞のしかあるなり。我既喫飯、儞揖喫飯(我れ既に喫飯すれば、儞喫飯を揖す)なり。切忌拈花のゆゑにしかあるなり。

福州長慶院圓智禪師大安和尚、上堂示衆云、大安在潙山三十來年、喫潙山飯、屙潙山屎、不學潙山禪。只看一頭水牯牛。若落路入草便牽出。若犯人苗稼卽鞭撻。調伏既久、可憐生、受人言語。如今變作箇露地白牛。常在面前、終日露囘囘地。趁亦不去也(福州長慶院圓智禪師大安和尚、上堂の示衆に云く、大安、潙山に在ること三十來年なり。潙山の飯を喫し、潙山の屎を屙して、潙山の禪を學せず。ただ一頭の水牯牛を看す。若し落路入草すれば便ち牽出す。若し人の苗稼を犯さば卽ち鞭撻す。調伏すること既に久しくして、可憐生、人の言語を受く。如今變じて箇の露地の白牛と作る。常に面前に在つて、終日露囘囘地なり。趁へども亦た去らず)。

あきらかにこの示衆を受持すべし。佛祖の會下に功夫なる三十來年は喫飯なり。さらに雜用心あらず。喫飯の活計見成するは、おのづから看一頭水牯牛の標格あり。

趙州眞際大師、問新到僧曰、曾到此間否(趙州眞際大師、新到僧に問うて曰く、曾て此間に到れりや否や)。

僧曰、曾到。

師曰、喫茶去。

又問一僧(又、一僧に問ふ)、曾到此間否。

僧曰、不曾到。

師曰、喫茶去。

院主問師、爲甚曾到此間也喫茶去、不曾到此間也喫茶去(院主、師に問ふ、甚と爲てか曾到此間も喫茶去、不曾到此間も喫茶去なる)。

師召院主(師、院主を召す)。

主應諾(主、應諾す)。

師曰、喫茶去。

いはゆる此間は、頂𩕳にあらず、鼻孔にあらず、趙州にあらず。此間を跳脱するゆゑに曾到此間なり、不曾到此間なり。遮裏是甚麼處在、祗管道曾到不曾到なり。このゆゑに、 先師いはく、誰在畫樓沽酒處、相邀來喫趙州茶(誰か畫樓沽酒の處に在つて、相邀へ來つて趙州の茶を喫せん)。

しかあれば、佛祖の家常は喫茶喫飯のみなり。

正法眼藏家常第五十九

爾時寛元元年癸卯十二月十七日在越宇禪師峰下示衆

同二年壬辰正月一日書寫之在峰下侍者寮 懷弉

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