Capítulo 24 de 122
正法眼藏第十六 行持 上 · 4
演和尚、あるときしめしていはく、行無越思、思無越行(行は思を越ゆることなく、思は行を越ゆることなし)。
この語、おもくすべし。日夜思之、朝夕行之(日夜に之を思ひ、朝夕に之を行ふ)、いたづらに東西南北の風にふかるるがごとくなるべからず。いはんやこの日本國は、王臣の宮殿なほその豐屋にあらず、わづかにおろそかなる白屋なり。出家學道の、いかでか豐屋に幽棲するあらん。もし豐屋をえたるは、邪命にあらざるなし、淸淨なるまれなり。もとよりあらんは論にあらず、はじめてさらに經營することなかれ。草庵白屋は、古聖の所住なり、古聖の所愛なり。晩學したひ參學すべし、たがゆることなかれ。黄帝堯舜等は、俗なりといへども草屋に居す、世界の勝躅なり。
尸子曰、欲觀黄帝之行、於合宮。欲觀堯舜之行、於總章。黄帝明堂以草蓋之、名曰合宮。舜之明堂以草蓋之、名曰總章(尸子曰く、黄帝の行を觀んと欲はば、合宮に於てすべし。堯舜の行を觀んと欲はば、總章に於てすべし。黄帝の明堂は草を以て之を蓋く、名づけて合宮と曰ふ。舜の明堂は草を以て之を蓋く、名づけて總章と曰ふ)。
しるべし、合宮總章はともに草をふくなり。いま黄帝堯舜をもてわれらにならべんとするに、なほ天地の論にあらず。これなほ草蓋を明堂とせり。俗なほ草屋に居す、出家人いかでか高堂大觀を所居に擬せん。慚愧すべきなり。古人の樹下に居し、林間にすむ、在家出家ともに愛する所住なり。黄帝は崆峒道人廣成の弟子なり、廣成は崆峒といふ巖のなかにすむ。いま大宋國の國王大臣、おほくこの玄風をつたふるなり。
しかあればすなはち、塵勞中人なほかくのごとし。出家人いかでか塵勞中人より劣ならん、塵勞中人よりもにごれらん。向來の佛祖のなかに、天の供養をうくるおほし。しかあれども、すでに得道のとき、天眼およばず、鬼神たよりなし。そのむね、あきらむべし。天衆神道もし佛祖の行履をふむときは、佛祖にちかづくみちあり。佛祖あまねく天衆神道を超證するには、天衆神道はるかに見上のたよりなし、佛祖のほとりにちかづきがたきなり。
南泉いはく、老僧修行のちからなくして鬼神に覰見せらる。しるべし、無修の鬼神に覰見せらるるは、修行のちからなきなり。
太白山宏智禪師正覺和尚の會に、護伽藍神いはく、われきく、覺和尚この山に住すること十餘年なり。つねに寢堂にいたりてみんとするに、不能前なり、未之識なり。
まことに有道の先蹤にあひあふなり。この天童山は、もとは小院なり。覺和尚の住裡に、道士觀、尼寺、教院等を掃除して、いまの景徳寺となせり。
師、遷化ののち、左朝奉大夫侍御史王伯庠、因に師の行業記を記するに、ある人いはく、かの道士觀、尼寺、教院をうばひて、いまの天童寺となせることを記すべし。御史いはく不可也。此事非僧徳矣(不可なり、此の事、僧徳に非ず)。ときの人、おほく侍御史をほむ。
しるべし、かくのごとくの事は俗の能なり、僧の徳にあらず。おほよそ佛道に登入する最初より、はるかに三界の人天をこゆるなり。三界の所使にあらず、三界の所見にあらざること、審細に咨問すべし。身口意および依正をきたして功夫參究すべし。佛祖行持の功徳、もとより人天を濟度する巨益ありとも、人天さらに佛祖の行持にたすけらるると覺知せざるなり。
いま佛祖の大道を行持せんには、大隱小隱を論ずることなく、聰明鈍癡をいとふことなかれ。ただながく名利をなげすてて、萬緣に繋縛せらるることなかれ。光陰をすごさず、頭燃をはらふべし。大悟をまつことなかれ、大悟は家常の茶飯なり。不悟をねがふことなかれ、不悟は髻中の寶珠なり。ただまさに家郷あらんは家郷をはなれ、恩愛あらんは恩愛をはなれ、名あらんは名をのがれ、利あらんは利をのがれ、田園あらんは田園をのがれ、親族あらんは親族をはなるべし。名利等なからんも又はなるべし。すでにあるをはなる、なきをもはなるべき道理あきらかなり。それすなはち一條の行持なり。生前に名利をなげすてて一事を行持せん、佛壽長遠の行持なり。いまこの行持、さだめて行持に行持せらるるなり。この行持あらん身心、みづからも愛すべし、みづからもうやまふべし。
大慈寰中禪師いはく、説得一丈、不如行取一尺。説得一尺、不如行取一寸(一丈を説得せんよりは、一尺を行取せんに如かず。一尺を説得せんよりは、一寸を行取せんに如かず)。
これは、時人の行持おろそかにして佛道の通達をわすれたるがごとくなるをいましむるににたりといへども、一丈の説は不是とにはあらず、一尺の行は一丈説よりも大功なりといふなり。なんぞただ丈尺の度量のみならん、はるかに須彌と芥子との論功もあるべきなり。須彌に全量あり、芥子に全量あり。行持の大節、これかくのごとし。いまの道得は寰中の自爲道にあらず、寰中の自爲道なり。
洞山悟本大師道、説取行不得底、行取説不得底(行不得底を説取し、説不得底を行取す)。
これ高祖の道なり。その宗旨は、行は説に通ずるみちをあきらめ、説の行に通ずるみちあり。しかあれば、終日とくところに終日おこなふなり。その宗旨は、行不得底を行取し、説不得底を説取するなり。
雲居山弘覺大師、この道を七通八達するにいはく、説時無行路、行時無説路。
この道得は、行説なきにあらず、その説時は、一生不離叢林なり。その行時は、洗頭到雪峰前なり。説時無行路、行時無説路、さしおくべからず、みだらざるべし。
古來の佛祖いひきたれることあり、いはゆる若人生百歳、不會諸佛機、未若生一日、而能決了之(若し人、生きて百歳あらんも、諸佛の機を會せずは、未だ生きて一日にして、能く之を決了せんには若かじ)。
これは一佛二佛のいふところにあらず、諸佛の道取しきたれるところ、諸佛の行取しきたれるところなり。百千萬劫の囘生囘死のなかに、行持ある一日は、髻中の明珠なり、同生同死の古鏡なり。よろこぶべき一日なり、行持力みづからよろこばるるなり。行持のちからいまだいたらず、佛祖の骨髓うけざるがごときは、佛祖の身心ををしまず、佛祖の面目をよろこばざるなり。佛祖の面目骨髓、これ不去なり、如去なり、如來なり、不來なりといへども、かならず一日の行持に稟受するなり。しかあれば、一日はおもかるべきなり。いたづらに百歳いけらんは、うらむべき日月なり、かなしむべき形骸なり。たとひ百歳の日月は聲色の奴婢と馳走すとも、そのなか一日の行持を行取せば、一生の百歳を行取するのみにあらず、百歳の他生をも度取すべきなり。この一日の身命はたふとぶべき身命なり。たふとぶべき形骸なり。かるがゆゑに、いけらんこと一日ならんは、諸佛の機を會せば、この一日を曠劫多生にもすぐれたりとするなり。このゆゑに、いまだ決了せざらんときは、一日をいたづらにつかふことなかれ。この一日はをしむべき重寶なり。尺璧の價直に擬すべからず、驪珠にかふることなかれ。古賢をしむこと身命よりもすぎたり。
しづかにおもふべし、驪珠はもとめつべし、尺璧はうることもあらん。一生百歳のうちの一日は、ひとたびうしなはん、ふたたびうることなからん。いづれの善巧方便ありてか、すぎにし一日をふたたびかへしえたる。紀事の書にしるさざるところなり。もしいたづらにすごさざるは、日月を皮袋に包含して、もらさざるなり。しかあるを、古聖先賢は、日月ををしみ光陰ををしむこと、眼睛よりもをしむ、國土よりもをしむ。そのいたづらに蹉過するといふは、名利の浮世に濁亂しゆくなり。いたづらに蹉過せずといふは、道にありながら道のためにするなり。
すでに決了することをえたらん、又一日をいたづらにせざるべし。ひとへに道のために行取し、道のために説取すべし。このゆゑにしりぬ、古來の佛祖いたづらに一日の功夫をつひやさざる儀、よのつねに觀想すべし。遲遲花日も明窓に坐しておもふべし、蕭蕭雨夜も白屋に坐してわするることなかれ。光陰なにとしてかわが功夫をぬすむ。一日をぬすむのみにあらず、多劫の功徳をぬすむ。光陰とわれと、なんの怨家ぞ。うらむべし、わが不修のしかあらしむるなるべし。われ、われとしたしからず、われ、われをうらむるなり。佛祖も恩愛なきにあらず、しかあれどもなげすてきたる。佛祖も諸緣なきにあらず、しかあれどもなげすてきたる。たとひをしむとも、自他の因緣をしまるべきにあらざるがゆゑに。われもし恩愛をなげすてずは、恩愛かへりてわれをなげすつべき云爲あるなり。恩愛をあはれむべくは恩愛をあはれむべし。恩愛をあはれむといふは、恩愛をなげすつるなり。
南嶽大慧禪師懷讓和尚、そのかみ曹谿に參じて、執侍すること十五秋なり。しかうして傳道授業すること、一器水瀉一器(一器の水を一器に寫す)なることをえたり。古先の行履、もとも慕古すべし。十五秋の風霜、われをわづらはすおほかるべし。しかあれども純一に究辨す、これ晩進の龜鏡なり。寒爐に炭なく、ひとり虛堂にふせり、涼夜に燭なく、ひとり明窓に坐する、たとひ一知半解なくとも、無爲の絶學なり。これ行持なるべし。
おほよそ、ひそかに貪名愛利をなげすてきたりぬれば、日日に行持の積功のみなり。このむね、わするることなかれ。説似一物卽不中は、八箇年の行持なり。古今まれなりとするところ、賢不肖ともにこひねがふ行持なり。
香嚴の智閑禪師は、大潙に耕道せしとき、一句を道得せんとするに數番つひに道不得なり。これをかなしみて、書籍を火にやきて、行粥飯僧となりて年月を經歴しき。のちに武當山にいりて、大證の舊跡をたづねて結草爲庵し、放下幽棲す。一日わづかに道路を併淨するに、礫のほどばしりて竹にあたりて聲をなすによりて、忽然として悟道す。のちに香嚴寺に住して、一盂一衲を平生に不換なり。奇巖淸泉をしめて、一生偃息の幽棲とせり。行跡おほく本山にのこれり。平生に山をいでざりけるといふ。
臨濟院慧照大師は、黄檗の嫡嗣なり。黄檗の會にありて三年なり。純一に辨道するに、睦州陳尊宿の教訓によりて、佛法の大意を黄檗にとふこと三番するに、かさねて六十棒を喫す。なほ勵志たゆむことなし。大愚にいたりて大悟することも、すなはち黄檗睦州兩尊宿の教訓なり。祖席の英雄は臨濟徳山といふ。しかあれども、徳山いかにしてか臨濟におよばん。まことに臨濟のごときは群に群せざるなり。そのときの群は、近代の拔群よりも拔群なり。行業純一にして行持拔群せりといふ、幾枚幾般の行持なりとおもひ、擬せんとするに、あたるべからざるものなり。
師在黄檗、與黄檗栽杉松次、黄檗問師曰、深山裏、栽許多樹作麼(師、黄檗に在りしとき、黄檗と與に杉松を栽うる次でに、黄檗、師に問うて曰く、深山の裏に、許多の樹を栽ゑて作麼)。
師曰、一與山門爲境致、二與後人作標榜、乃將鍬拍地兩下(師曰く、一には山門の與に境致と爲し、二には後人の與に標榜と作す、乃ち鍬を將て地を拍つこと兩下す)。
黄檗拈起拄杖曰、雖然如是、汝已喫我三十棒了也(黄檗拄杖を拈起して曰く、然も是の如くなりと雖も、汝已に我が三十棒を喫し了れり)。
師作嘘嘘聲(師、嘘嘘聲をなす)。
黄檗曰、吾宗到汝大興於世(黄檗曰く、吾が宗汝に到つて大きに世に興らん)。
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