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Capítulo 116 de 122

正法眼藏第六 歸依佛法僧寶

禪苑淸規曰、敬佛法僧否(佛法僧を敬ふや否や)。一百二十門第一

あきらかにしりぬ、西天東土、佛祖正傳するところは、恭敬佛法僧なり。歸依せざれば恭敬せず、恭敬せざれば歸依すべからず。この歸依佛法僧の功徳、かならず感應道交するとき成就するなり。たとひ天上人間、地獄鬼畜なりといへども、感應道交すれば、かならず歸依したてまつるなり。すでに歸依したてまつるがごときは、世世生生、在在處處に増長し、かならず積功累徳し、阿耨多羅三藐三菩提を成就するなり。おのづから惡友にひかれ、魔障にあふて、しばらく斷善根となり、一闡提となれども、つひには續善根し、その功徳増長するなり。歸依三寶の功徳、つひに不朽なり。

その歸依三寶とは、まさに淨信をもはらにして、あるいは如來現在世にもあれ、あるいは如來滅後にもあれ、合掌し低頭して、口にとなへていはく、

我某甲、今身より佛身にいたるまで、

歸依佛、歸依法、歸依僧。

歸依佛兩足尊、歸依法離欲尊、歸依僧衆中尊。

歸依佛竟、歸依法竟、歸依僧竟。

はるかに佛果菩提をこころざして、かくのごとく僧那を始發するなり。しかあればすなはち、身心いまも刹那刹那に生滅すといへども、法身かならず長養して、菩提を成就するなり。

いはゆる歸依とは、歸は歸投なり、依は依伏なり。このゆゑに歸依といふ。歸依の相は、たとへば子の父に歸するがごとし。依伏は、たとへば民の王に依するがごとし。いはゆる救濟の言なり。佛はこれ大師なるがゆゑに歸依す、法は良藥なるがゆゑに歸依す、僧は勝友なるがゆゑに歸依す。

問、何故、偏歸此三(何が故にか偏に此の三に歸するや)。

答、以此三種畢竟歸處、能令衆生出離生死、證大菩提故歸(此の三種は畢竟歸處にして、能く衆生をして生死を出離し、大菩提を證せしむるを以ての故に歸す)。

此三、畢竟不可思議功徳なり。

佛、西天には佛陀耶と稱ず、震旦には覺と翻ず。無上正等覺なり。

法は西天には達磨と稱ず、また曇無と稱ず。梵音の不同なり。震旦には法と翻ず。一切の善、惡、無記の法、ともに法と稱ずといへども、いま三寶のなかの歸依するところの法は、軌則の法なり。

僧は西天には僧伽と稱ず、震旦には和合衆と翻ず。

かくのごとく稱讃しきたれり。

住持三寶

形像塔廟、佛寶。

黄紙朱軸所傳、法寶。

剃髪染衣、戒法儀相、僧寶。

化儀三寶

釋迦牟尼世尊、佛寶。

所轉法輪、流布聖教、法寶。

阿若憍陳如等五人、僧寶。

理體三寶

五分法身、名爲佛寶。

滅理無爲、名爲法寶。

學無學功徳、名爲僧寶。

一體三寶

證理大覺、名爲佛寶。

淸淨離染、名爲法寶。

至理和合、無擁無滯、名爲僧寶。

かくのごとくの三寶に歸依したてまつるなり。もし薄福少徳の衆生は、三寶の名字なほききたてまつらざるなり。いかにいはんや歸依したてまつることをえんや。

法華經曰、

是諸罪衆生(是の諸の罪の衆生は)、

以惡業因緣(惡業の因緣を以て)、

過阿僧祇劫(阿僧祇劫を過ぐとも)、

不聞三寶名(三寶の名を聞かず)。

法華經は、諸佛如來一大事の因緣なり。大師釋尊所説の諸經のなかには、法華經これ大王なり、大師なり。餘經、餘法は、みなこれ法華經の臣民なり、眷屬なり。法華經中の所説これまことなり、餘經中の所説みな方便を帶せり、ほとけの本意にあらず。餘經中の説をきたして法華に比校したてまつらん、これ逆なるべし。法華の功徳力をかうぶらざれば餘經あるべからず、餘經はみな法華に歸投したてまつらんことをまつなり。この法華經のなかに、いまの説まします。しるべし、三寶の功徳、まさに最尊なり、最上なりといふこと。

世尊言、

衆人怖所逼、多歸依諸山(衆人所逼を怖れて、多く諸山)、

園苑及叢林、孤樹制多等(園苑及び叢林、孤樹制多等に歸依す)、

此歸依非勝、此歸依非尊(此の歸依は勝に非ず、此の歸依は尊に非ず)、

不因此歸依、能解脱衆苦(此の歸依に因りては、能く衆苦を解脱せず)。

諸有歸依佛、及歸依法僧(諸の佛に歸依し、及び法僧に歸依すること有るは)、

於四聖諦中、恆以慧觀察(四聖諦の中に於て、恆に慧を以て觀察し)、

知苦知苦集、知永超衆苦(苦を知り苦の集を知り、永く衆苦を超えんことを知り)、

知八支聖道、趣安穩涅槃(八支の聖道を知り、安穩涅槃に趣く)。

此歸依最勝、此歸依最尊(此の歸依は最勝なり、此の歸依は最尊なり)、

必因此歸依、能解脱衆苦(必ず此の歸依に因つて、能く衆苦を解脱す)。

世尊あきらかに一切衆生のためにしめしまします。衆生いたづらに所逼をおそれて、山神、鬼神等に歸依し、あるいは外道の制多に歸依することなかれ。かれはその歸依によりて衆苦を解脱することなし。おほよそ外道の邪教にしたがうて、

牛戒、鹿戒、羅刹戒、鬼戒、瘂戒、聾戒、狗戒、鷄戒、雉戒。以灰塗身、長髪爲相、以羊祠時、先呪後殺、四月事火、七日服風。百千億華供養諸天、諸所欲願、因此成就。如是等法、能爲解脱因者、無有是處。智者處不讃、唐苦無善報(牛戒、鹿戒、羅刹戒、鬼戒、瘂戒、聾戒、狗戒、鷄戒、雉戒あり。灰を以て身に塗り、長髪もて相を爲し、羊を以て時を祠り、先に呪して後に殺す。四月火に事へ、七日風に服し、百千億の華もて諸天に供養し、諸の欲ふ所の願、此れに因りて成就すといふ。是の如き等の法、能く解脱の因なりと爲さば、是の處有ること無けん。智者の讃めざる所なり、唐しく苦しんで善報無し)。

かくのごとくなるがゆゑに、いたづらに邪道に歸せざらんこと、あきらかに甄究すべし。たとひこれらの戒にことなる法なりとも、その道理、もし孤樹、制多等の道理に符合せらば、歸依することなかれ。人身うることかたし、佛法あふことまれなり。いたづらに鬼神の眷屬として一生をわたり、むなしく邪見の流類として多生をすごさん、かなしむべし。はやく佛法僧三寶に歸依したてまつりて、衆苦を解脱するのみにあらず、菩提を成就すべし。

希有經云、教化四天下及六欲天、皆得四果、不如一人受三歸功徳(四天下及び六欲天を教化して、皆な四果を得しむとも、一人の三歸を受くる功徳には如かじ)。

四天下とは、東西南北州なり。そのなかに、北州は三乘の化いたらざるところ。かしこの一切衆生を教化して阿羅漢となさん、まことにはなはだ希有なりとすべし。たとひその益ありとも、一人ををしへて三歸をうけしめん功徳にはおよぶべからず。また六天は、得道の衆生まれなりとするところなり。かれをして四果をえしむとも、一人の受三歸の功徳のおほくふかきにおよぶべからず。

増一阿含經云、有忉利天子、五衰相現、當生猪中。愁憂之聲、聞於天帝(増一阿含經に云く、忉利天子有り、五衰の相現じて、當に猪の中に生ずべし。愁憂の聲、天帝聞えき)。

天帝聞之、喚來告曰、汝可歸依三寶(天帝之を聞きて、喚び來りて告げて曰く、汝、三寶に歸依すべし)。

卽時如教、便免生猪(卽時に教の如くせしに、便ち猪に生ずることを免れたり)。

佛説偈言(佛、偈を説いて言はく)、

諸有歸依佛(諸有、佛に歸依せば)、

不墜三惡道(三惡道に墜ちざらん)。

盡漏處人天(漏を盡くして人天に處し)、

便當至涅槃(便ち當に涅槃に至るべし)。

受三歸已、生長者家、還得出家、成於無學(三歸を受け已りて、長者の家に生じて、還た出家することを得て、無學を成ぜり)。

おほよそ歸依三寶の功徳、はかりはかるべきにあらず、無量無邊なり。

世尊在世に、二十六億の餓龍、ともに佛所に詣し、みなことごとくあめのごとくなみだをふらして、まうしてまうさく、

唯願哀愍、救濟於我。大悲世尊、我等憶念過去世時、於佛法中雖得出家、備造如是種種惡業。以惡業故、經無量身在三惡道。亦以餘報故、生在龍中受極大苦(唯願はくは哀愍して、我れを救濟したまへ。大悲世尊、我等過去世の時を憶念するに、佛法の中に於て出家することを得と雖も、備さに是の如くの種種の惡業を造りき。惡業を以ての故に、無量身を經て三惡道に在りき。亦た餘の報を以ての故に、生れて龍の中に在りて極大苦を受く)。

佛告諸龍、汝等今當盡受三歸、一心修善。以此緣故、於賢劫中値最後佛名曰樓至。於彼佛世、罪得除滅(佛、諸龍に告げたまはく、汝等今當に盡く三歸を受け、一心に善を修すべし。此の緣を以ての故に、賢劫の中に於て最後佛の名を樓至と曰ふに値ひたてまつり、彼の佛の世に於て、罪、除滅することを得べし)。

時諸龍等聞是語已、皆悉至心、盡其形壽、各受三歸(時に諸龍等、是の語を聞き已りて、皆な悉く至心に、其の形壽を盡すまで、各三歸を受けたり)。

ほとけみづから諸龍を救濟しましますに、餘法なし、餘術なし。ただ三歸をさづけまします。過去世に出家せしとき、かつて三歸をうけたりといへども、業報によりて餓龍となれるとき、餘法のこれをすくふべきなし。このゆゑに三歸をさづけまします。しるべし、三歸の功徳、それ最尊最上、甚深不可思議なりといふこと。世尊すでに證明しまします、衆生まさに信受すべし。十方の諸佛の各號を稱念せしめましまさず、ただ三歸をさづけまします。佛意の甚深なる、たれかこれを測量せん。いまの衆生、いたづらに各各の一佛の名號を稱念せんよりは、すみやかに三歸をうけたてまつるべし。愚闇にして大功徳をむなしくすることなかれ。

爾時衆中有盲龍女。口中膖爛、滿諸雜蟲、状如屎尿。乃至穢惡猶若婦人根中不淨。臊臭難看。種種噬食、膿血流出。一切身分、常有蚊虻諸惡毒蝿之所唼食、身體臭處、難可見聞(爾の時に衆中に盲龍女有りき。口中膖爛し、諸の雜蟲滿てり、状、屎尿の如し。乃至穢惡なること猶ほ婦人の根中の不淨の若し。臊臭看難し。種種に噬食せられて、膿血流出す。一切の身分、常に蚊虻諸の惡毒蝿に唼食せらるる有り、身體の臭處、見聞すべきこと難し)。

爾時世尊、以大悲心、見彼龍婦眼盲困苦如是、問言、妹何緣故得此惡身、於過去世曾爲何業(爾の時に世尊、大悲心を以て、彼の龍婦の眼盲ひ困苦すること是の如くなるを見たまひて、問うて言はく、妹、何の緣の故にか此の惡身を得たる、過去世に曾て何の業をか爲りし)。

龍婦答言、世尊、我今此身、衆苦逼迫無暫時停。設復欲言、而不能説。我念過去三十六億、於百千年、惡龍中受如是苦、乃至日夜刹那不停。爲我往昔九十一劫、於毘婆尸佛法中、作比丘尼、思念欲事、過於醉人。雖復出家不能如法。於伽藍内敷施牀褥、數數犯於非梵行事、以快欲心、生大樂受。或貪求他物、多受信施。以如是故、於九十一劫、常不得受天人之身、恆三惡道受諸燒煮(龍婦答へて言さく、世尊、我が今此の身、衆苦逼迫して暫時も停まること無し。設し復た言はんと欲ふも、而も説くこと能はじ。我れ過去三十六億を念ふに、百千年に於て、惡龍の中に是の如くの苦を受け、乃至日夜刹那も停まざりき。我が往昔九十一劫を爲ふに、毘婆尸佛の法の中に於て、比丘尼と作り、欲事を思念すること醉人よりも過ぎたり。復た出家すと雖も如法なること能はず。伽藍の内に牀褥を敷施て、數數非梵行の事を犯し、以て欲心を快くして大樂受を生じき。或いは他の物を貪求し、多く信施を受く。是の如くなるを以ての故に、九十一劫に、常に天人の身を受くること得ず、恆に三惡道にして諸の燒煮を受けき)。

佛又問言、若如是者、此中劫盡、妹何處生(佛又問うて言はく、若し是の如くならば、此の中の劫盡きて、妹、何れの處にか生ずべき)。

龍婦答言、我以過去業力因緣、生餘世界、彼劫盡時、惡業風吹、還來生此(龍婦答へて言さく、我れ過去の業力の因緣を以て、餘の世界に生れ、彼の劫盡くる時、惡業の風吹いて、還た來つて此に生ずべし)。

時彼龍婦、説此語已作如是言、大悲世尊、願救濟我、願救濟我(時に彼の龍婦、此の語を説き已りて是の如くの言を作さく、大悲世尊、願はくは我を救濟したまへ、願はくは我を救濟したまへ)。

爾時世尊、以手掬水、告龍女言、此水名爲瞋陀留脂藥和。我今誠實發言語汝、我於往昔、爲救鴿故、棄捨身命、終不疑念起慳惜心。此言若實、令汝惡患、悉皆除瘥(爾の時に世尊、手を以て水を掬ひ、龍女に告げて言はく、此の水を名づけて瞋陀留脂藥和と爲す。我れ今誠實に言を發して汝に語らん、我れ往昔に於て、鴿を救はんが爲の故に、身命を棄捨しも、終に疑念して慳惜の心を起さざりき。此の言若し實ならば、汝が惡患をして悉皆に除瘥しむべし)。

時佛世尊、以口含水、灑彼盲龍婦女之身、一切惡患臭處皆瘥。既得瘥已、作如是説言、我今於佛、乞受三歸(時に佛世尊、口を以て水を含み、彼の盲龍婦女の身に灑ぎたまふに、一切の惡患臭處皆な瘥えたり。既に瘥ゆることを得已りて、是の如くの説を作して言さく、我れ今佛に於て、三歸を受けんことを乞ふ)。

是時世尊、卽爲龍女授三歸依(是の時に世尊、卽ち龍女の爲に三歸依を授けたまへり)。

この龍女、むかしは毘婆尸佛の法のなかに比丘尼となれり。禁戒を破すといふとも、佛法の通塞を見聞すべし。いまはまのあたり釋迦牟尼佛にあひたてまつりて三歸を乞授す、ほとけより三歸をうけたてまつる、厚殖善根といふべし。見佛の功徳、かならず三歸によれり。われら盲龍にあらず、畜身にあらざれども、如來をみたてまつらず、ほとけにしたがひたてまつりて三歸をうけず、見佛はるかなり、はぢつべし。世尊みづから三歸をさづけまします、しるべし、三歸の功徳、それ甚深無量なりといふこと。天帝釋の野干を拜して三歸をうけし、みな三歸の功徳の甚深なるによりてなり。

佛在迦毘羅衞尼拘陀林時、釋摩男來至佛所、作如是言云、何名爲優婆塞也(佛、迦毘羅衞尼拘陀林に在しし時、釋摩男、佛の所に來至して、是の如くの言を作して云く、何をか名づけて優婆塞と爲すや)。

佛卽爲説、若有善男子善女人、諸根完具、受三歸依、是卽名爲優婆塞也(佛卽ち爲に説きたまはく、若し善男子善女人有りて、諸根完具し、三歸依を受けん、是れを卽ち名づけて優婆塞と爲す)。

釋摩男言、世尊、云何名爲一分優婆塞(釋摩男言さく、世尊、云何が名づけて一分の優婆塞と爲すや)。

佛言、摩男、若受三歸、及受一戒、是名一分優婆塞(佛言はく、摩男、若し三歸を受け、及び一戒をも受くれば、是れを一分の優婆塞と名づく)。

佛弟子となること、かならず三歸による。いづれの戒をうくるも、かならず三歸をうけて、そののち諸戒をうくるなり。しかあればすなはち、三歸によりて得戒あるなり。

法句經云、昔有天帝、自知命終生於驢中、愁憂不已曰、救苦厄者、唯佛世尊(法句經云く、昔天帝有り、自ら、命終して驢中に生ぜんことを知り、愁憂已まずして曰く、苦厄を救はん者は、唯佛世尊のみなり)。

便至佛所、稽首伏地、歸依於佛。未起之間、其命便終生於驢胎。母驢鞚斷、破陶家坏器。器主打之、遂傷其胎、還入天帝身中(便ち佛の所に至り、稽首伏地し、佛に歸依したてまつる。未だ起たざる間に、其の命便ち終りて驢胎に生ぜり。母の驢、鞚斷たれて、陶家の坏器を破りつ。器主之を打つに、遂に其の胎を傷り、天帝の身中に還り入れり)。

佛言、殞命之際、歸依三寶、罪對已畢(佛言はく、殞命の際、三寶に歸依したれば、罪對已に畢りぬ)。

天帝聞之得初果(天帝、之を聞きて初果を得たり)。

おほよそ世間の苦厄をすくふこと、佛世尊にはしかず。このゆゑに、天帝いそぎ世尊のみもとに詣す。伏地のあひだに命終し、驢胎に生ず。歸佛の功徳により、驢母の鞚やぶれて陶家の坏器を踏破す。器主これをうつ、驢母の身いたみて託胎の驢やぶれぬ。すなはち天帝の身にかへりいる。佛説をききて初果をうる、歸依三寶の功徳力なり。

しかあればすなはち、世間の苦厄すみやかにはなれて、無上菩提を證得せしむること、かならず歸依三寶のちからなるべし。おほよそ三歸のちから、三惡道をはなるるのみにあらず、天帝釋の身に還入す。天上の果報をうるのみにあらず、須陀洹の聖者となる。まことに三寶の功徳海、無量無邊にましますなり。世尊在世は人天この慶幸あり、いま如來滅後、後五百歳のとき、人天いかがせん。しかあれども、如來形像舍利等、なほ世間に現住しまします。これに歸依したてまつるに、またかみのごとくの功徳をうるなり。

未曾有經云、佛言、憶念過去無數劫時、毘摩大國徙陀山中、有一野干。而爲師子所逐欲食。奔走墮井不能得出。經於三日、開心分死、而説偈言(未曾有經云く、佛言はく、過去無數劫時を憶念するに、毘摩大國徙陀山中に一野干有りき。而も師子に逐はれ、食はれなんとす。奔走して井に墮ちて出づること得ること能はず。三日を經るに、開心して死を分へ、而も偈を説いて言く)、

禍哉今日苦所逼(禍ひなる哉今日苦に逼られ)、

便當沒命於丘井(便ち當に命を丘井に沒せんとす)。

一切萬物皆無常(一切萬物皆な無常なり)、

恨不以身飴師子(恨むらくは身を以て師子に飴はざりしことを)。

南無歸依十方佛、表知我心淨無己(我が心淨にして己れ無きことを表知したまへ)。

時天帝釋聞佛名、肅然毛豎念古佛。自惟孤露無導師、耽著五欲自沈沒。卽與諸天八萬衆、飛下詣井、欲問詰。乃見野干在井底、兩手攀土不得出(時に天帝釋、佛の名を聞きて、肅然として毛豎ちて古佛を念へり。自ら惟へらく、孤露にして導師無く、五欲に耽著して自ら沈沒すと。卽ち諸天八萬衆と與に、飛下して井に詣りて、問詰せんと欲へり。乃ち野干の井底に在りて、兩手をもて土を攀づれども出づること得ざるを見たり)。

天帝復自思念言、聖人應念無方術。我今雖見野干形、斯必菩薩非凡器。仁者向説非凡言、願爲諸天説法要(天帝復た自ら思念して言く、聖人應に方術無からんと念ふべし。我れ今野干の形を見ると雖も、斯れは必ず菩薩にして凡器に非ざらん。仁者向説する、凡言に非ず、願はくは諸天の爲に法要を説きたまへ)。

於時野干仰答曰、汝爲天帝無教訓。法師在下自處上、都不修敬問法要。法水淸淨能濟人、云何欲得自貢高(時に野干、仰いで答へて曰く、汝、天帝として教訓無し。法師は下に在りて自らは上に處る、都て敬を修せずして法要を問ふ。法水淸淨にして能く人を濟ふ、云何が自ら貢高ならんと欲得ふや)。

天帝聞是大慚愧(天帝、是を聞きて大きに慚愧せり)。

給侍諸天愕然笑、天王降趾大無利(給侍の諸天愕然として笑ふ、天王降趾すれども大きに利無し)。

天帝卽時告諸天、愼勿以此懷驚怖。是我頑蔽徳不稱、必當因是聞法要(天帝卽ち時に諸天に告ぐらく、愼んで此れを以て驚怖を懷くこと勿れ。是れ我が徳を頑蔽して稱げざるなり。必ず當に是れに因りて法要を聞くべし)。

卽爲垂下天寶衣、接取野干出於上。諸天爲設甘露食、野干得食生活望。非意禍中致斯福。心懷勇躍慶無量。野干爲天帝及諸天、廣説法要(卽ち爲に天寶衣を垂下して、野干を接取して上に出しつ。諸天、爲に甘露の食を設け、野干、食することを得て活望を生ぜり。意はざりき、禍中に斯の福を致さんとは。心に勇躍を懷きて慶ぶこと無量なり。野干、天帝及び諸天の爲に廣く法要を説きき)。

これを天帝拜畜爲師の因緣と稱ず。あきらかにしりぬ、佛名、法名、僧名のききがたきこと、天帝の野干を師とせし、その證なるべし。いまわれら宿善のたすくるによりて、如來の遺法にあふたてまつり、晝夜に三寶の寶號をききたてまつること、時とともにして不退なり。これすなはち法要なるべし。天魔波旬なほ三寶に歸依したてまつりて患難をまぬかる、いかにいはんや餘者の、三寶の功徳におきて積功累徳せらん、はかりしらざらめやは。

おほよそ佛子の行道、かならずまづ十方の三寶を敬禮したてまつり、十方の三寶を勸請したてまつりて、そのみまへに燒香散華して、まさに諸行を修するなり。これすなはち古先の勝躅なり、佛祖の古儀なり。もし歸依三寶の儀、いまだかつておこなはざるは、これ外道の法なりとしるべし、または天魔の法ならんとしるべし。佛佛祖祖の法は、かならずそのはじめに歸依三寶の儀軌あるなり。

正法眼藏歸依三寶第六

建長七年乙卯夏安居日、以先師之御草本書寫畢。未及中書淸書等。定御再治之時有添削欤。於今不可叶其儀。仍御草如此云。

弘安二年己卯夏安居五月廿一日在越宇中濱新善光寺書寫之義雲

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正法眼藏第六 歸依佛法僧寶 · Shōbōgenzō (Tesoro del ojo del verdadero Dharma) — Dōgen · The Conscious Library