Capítulo 110 de 122
正法眼藏第五 供養諸佛 · 2
舍利弗、我念過世、亦於第七百阿僧祇劫中、得値八十四佛。皆號帝相。我時皆作轉輪聖王、以一切樂具、盡形供養及諸弟子、亦不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、亦た第七百阿僧祇劫の中に、八十四佛に値ひたてまつることを得たり。皆な、帝相と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、一切の樂具を以て、形を盡くすまで供養すること諸弟子に及びしも、亦た我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過世、亦於第七百阿僧祇劫中、得値十五佛。皆號日明。我時皆作轉輪聖王、以一切樂具、盡形供養及諸弟子、亦不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、亦た第七百阿僧祇劫の中に、十五佛に値ひたてまつることを得たり。皆な日明と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、一切の樂具を以て、形を盡くすまで供養すること諸弟子に及びしも、亦た我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。
舍利弗、我念過世、亦於第七百阿僧祇劫中、得値六十二佛。皆號善寂。我時皆作轉輪聖王、以一切樂具、盡形供養、亦不記我。以有所得故(舍利弗、我れ過世を念ふに、また第七百阿僧祇劫の中に、六十二佛に値ひたてまつることを得たり。皆な善寂と號けき。我れ時に皆な轉輪聖王と作りて、一切の樂具を以て、形を盡くすまで供養せしも、亦た我れを記したまはざりき。有所得なりしを以ての故なり)。
如是展轉、乃至見定光佛、乃得無生忍。卽記我言、汝於來世過阿僧祇劫、當得作佛、號釋迦牟尼如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊(是の如く展轉して、乃至定光佛を見たてまつりて、乃ち無生忍を得たり。卽ち我れを記して言はく、汝、來世に於て阿僧祇劫を過ぎて、當に作佛することを得て、釋迦牟尼如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊と號くべしと)。
はじめ三十億の釋迦牟尼佛にあひたてまつりて、盡形壽供養よりこのかた、定光如來にあふたてまつらせたまふまで、みなつねに轉輪聖王のみとして、盡形壽供養したてまつりまします。轉輪聖王、おほくは八萬已上なるべし。あるいは九萬歳、八萬歳の壽量、そのあひだの一切樂具の供養なり。定光佛とは燃燈如來なり。三十億の釋迦牟尼佛にあひたてまつりまします、佛本行集經ならびに佛藏經の説、おなじ。
釋迦菩薩、初阿僧企耶、逢事供養七萬五千佛。最初名釋迦牟尼、最後名寶髻。第二阿僧企耶、逢事供養七萬六千佛。最初卽寶髻、最後名燃燈。第三阿僧企耶、逢事供養七萬七千佛。最初卽燃燈、最後名勝觀。於修相異熟業九十一劫中、逢事供養六佛。最初名勝觀、最後名迦葉波(釋迦菩薩、初阿僧企耶に、七萬五千佛に逢事し供養したてまつりき。最初を釋迦牟尼と名づけ、最後を寶髻と名づけき。第二阿僧企耶に、七萬六千佛に逢事し供養したてまつりき。最初は卽ち寶髻、最後を燃燈と名づけき。第三阿僧企耶に、七萬七千佛に逢事し供養したてまつりき。最初は卽ち燃燈、最後名勝觀と名づけき。相異熟業を修する九十一劫の中に、六佛に逢事し供養したてまつりき。最初は卽ち勝觀、最後名迦葉波と名づけき)。
おほよそ三大阿僧祇劫の供養諸佛、はじめ身命より、國城妻子、七寶男女等、さらにをしむところなし。凡慮のおよぶところにあらず。あるいは黄金の粟を白銀の埦にもりみて、あるいは七寶の粟を金銀の埦にもりみてて供養したてまつる。あるいは小豆、あるいは水陸の花、あるいは栴檀、沈水香等を供養したてまつり、あるいは五莖の靑蓮華を、五百の金銀をもて買取て、燃燈佛を供養したてまつりまします。あるいは鹿皮衣、これを供養したてまつる。
おほよそ供佛は、諸佛の要樞にましますべきを供養したてまつるにあらず。いそぎわがいのちの存ぜる光陰をむなしくすごさず、供養したてまつるなり。たとひ金銀なりとも、ほとけの御ため、なにの益かあらん。たとひ香花なりとも、またほとけの御ため、なにの益かあらん。しかあれども、納受せさせたまふは、衆生をして功徳を増長せしめんための大慈大悲なり。
大般涅槃經第二十二云、
佛言、善男子、我念過去無量無邊那由他劫、爾時世界名曰裟婆。有佛世尊、號釋迦牟尼如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊。爲諸大衆、宣説如是大涅槃經。我於爾時、從善友所轉、聞彼佛當爲大衆説大涅槃。我聞是已、其心歡喜、欲設供養。居貧無物。欲自賣身、薄福不售。卽欲還家、路見一人(佛言はく、善男子、我れ過去無量無邊那由他劫を念ふに、爾の時に世界を名づけて裟婆と曰へり。佛世尊有り、釋迦牟尼如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊と號けき。諸の大衆の爲に、是の如くの大涅槃經を宣説したまひき。我れ爾の時に於て、善友の所より轉じて、彼の佛當に大衆の爲に大涅槃を説きたまふと聞きき。我れ是れを聞き已りて、其の心歡喜し、供養を設けんと欲へり。貧に居して物無し。自ら身を賣らんと欲へども、薄福にして售れず。卽ち家に還らんと欲ふに、路に一人を見たり)。
而便語言、吾欲賣身、若能買不(吾れ身を賣らんと欲ふ、若能く買ふや不や)。
其人答曰、我家作業、人無堪者、汝設能爲、我當買汝(我が家の作業は、人の堪ふる者無し、汝設し能く爲さば、我れ當に汝を買ふべし)。
我卽問言、有何作業、人無能堪(何なる作業有りてか、人の能く堪ふること無き)。
其人見答、吾有惡病、良醫處藥、應當日服人肉三兩。卿若能以身肉三兩日日見給、便當與汝金錢五枚(其の人見答すらく、吾れに惡病有り、良醫の處藥、應當に日に人肉三兩を服すべしといふ。卿若し能く身肉三兩を以て日日に見給せば、便ち當に汝に金錢五枚を與ふべし)。
我時聞已、心中歡喜(我れ時に聞き已りて、心中歡喜しき)。
我復語言、汝與我錢、假我七日。須我事訖、便還相就(我れ復た語りて言く、汝、我に錢を與へ、我れに七日を假すべし。我が事訖るを須ちて、便ち還た相就かん)。
其人見答、七日不可、審能爾者、當許一日(其の人見答すらく、七日は不可なり、審し能く爾あらば、當に一日を許すべし)。
善男子、我於爾時、卽取其錢、還至佛所、頭面禮足、盡其所有、而以奉獻。然後、誠心聽受是經。我時闇鈍、雖得聞經、唯能受持一偈文句(善男子、我れ爾の時に於て、卽ち其の錢を取りて、還た佛の所に至り、頭面に足を禮し、其の所有を盡くして、以て奉獻しき。然して後、誠心に是の經を聽受せり。我れ時に闇鈍にして、經を聞くことを得と雖も、唯能く一偈の文句を受持したり)。
如來證涅槃(如來涅槃を證したまひ)、
永斷於生死(永く生死を斷ず)。
若有至心聽(若し至心に聽くこと有らば)、
常得無量樂(常に無量の樂を得べし)。
受是偈已、卽便還至彼病人家(是の偈を受け已りて、卽便ち還た彼の病人の家に至りぬ)。
善男子、我時雖復日日與三兩肉、以念偈因緣故、不以爲痛。日日不癈、具滿一月(善男子、我れ時に復た日日に三兩の肉を與ふと雖も、念偈の因緣を以ての故に、以て痛と爲さざりき。日日癈せず、具に一月を滿てり)。
善男子、以是因緣其病得瘥、我身平復亦無瘡痍。我時見身具足完具、卽發阿耨多羅三藐三菩提心。一偈之力尚能如是、何況具足受持讀誦。我見此經有如是利、復倍發心、願於未來、得成佛道、字釋迦牟尼(善男子、是の因緣を以て其の病瘥ゆることを得、我が身も平復して亦た瘡痍無かりき。我れ時に身の具足完具せるを見て、卽ち阿耨多羅三藐三菩提心を發しき。一偈の力尚ほ能く是の如し、何に況んや具足して受持し讀誦せんをや。我れ此の經の是の如く利有るを見て、復た倍發心し、未來に於て佛道を成ずることを得て、釋迦牟尼と字せんことを願ひき)。
善男子、以是一偈因緣力故、令我今日於大衆中、爲諸天人具足宣説(善男子、是の一偈の因緣力を以ての故に、我れをして今日大衆の中に於て、諸の天人の爲に具足して宣説せしむ)。
善男子、以是因緣、是大涅槃不可思議、成就無量無邊功徳。乃是諸佛如來甚深秘密之藏(善男子、是の因緣を以て、是の大涅槃不可思議なり、無量無邊の功徳を成就せり。乃ち是れ諸佛如來甚深秘密之藏なり)。
そのときの賣身の菩薩は、今釋迦牟尼佛の往因なり。他經を會通すれば、初阿僧祇劫の最初、古釋迦牟尼佛を供養したてまつりましますときなり。かのときは瓦師なり、その名を大光明と稱ず。古釋迦牟尼佛ならびに諸弟子に供養するに三種の供養をもてす、いはゆる草座、石蜜漿、燃燈なり。そのときの發願にいはく、
國土、名號、壽命、弟子、一如今釋迦牟尼佛(今釋迦牟尼佛に一如ならん)。
かのときの發願、すでに今日成就するものなり。しかあればすなはち、ほとけを供養したてまつらんとするに、その身まづしといふことなかれ、そのいへまづしといふことなかれ。みづから身をうりて諸佛を供養したてまつるは、いま大師釋尊の正法なり。たれかこれを隨喜歡喜したてまつらざらん。このなかに、日日に三兩の身肉を割取するぬしにあふ、善知識なりといへども、他人のたふべからざるなり。しかあれども、供養の深志のたすくるところ、いまの功徳あり。いまわれら如來の正法を聽聞する、かの往古の身肉を處分せられたるなるべし。いまの四句の偈は、五枚の金錢にかふるところにあらず。三阿僧祇、一百大劫のあひだ、受生捨生にわするることなく、彼佛是佛のところに證明せられきたりましますところ、まことに不可思議の功徳あるべし。遺法の弟子、ふかく頂戴受持すべし。如來すでに一偈之力、尚能如是と宣説しまします、もともおほきにふかかるべし。
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