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Chapter 90 of 122

正法眼藏第七十二 安居 · 5

堂頭、庫司、首座、次第に煎點といふことあり。しかあれども、遠島深山のあひだには省略すべし。ただこれ禮數なり。退院の長老、および立僧の首座、おのおの本寮につきて、知事、頭首のために特爲煎點するなり。

かくのごとく結夏してより、功夫辨道するなり。衆行を辨肯せりといへども、いまだ夏安居せざるは佛祖の兒孫にあらず、また佛祖にあらず。孤獨園、靈鷲山、みな安居によりて現成せり。安居の道場、これ佛祖の心印なり、諸佛の住世なり。

解夏七月十三日、衆寮煎點諷經。またその月の寮主これをつとむ。

十四日、晩念誦。

來日陞堂。人事、巡寮、煎點、竝同結夏。唯牓状詞語、不同而已(人事、巡寮、煎點、竝びに結夏に同じ。唯牓状の詞語、不同なるのみ)。

庫司湯牓云、庫司今晩、就雲堂煎點、特爲首座大衆、聊表解制之儀。伏冀衆慈同垂光降(庫司湯牓に云く、庫司今晩、雲堂に就て煎點す。特に首座大衆の爲にし、聊か解制の儀を表す。伏して冀はくは衆慈同じく光降を垂れんことを)。

庫司比丘某甲 白

土地堂念誦詞云、切以金風扇野、白帝司方。當覺皇解制之時、是法歳周圓之日。九旬無難、一衆咸安。誦持諸佛洪名、仰報合堂眞宰。仰憑大衆念(土地堂念誦の詞に云く、切に以みれば金風野を扇ぎ、白帝方を司る。覺皇解制の時に當り、是れ法歳周圓の日なり。九旬難無く、一衆咸安なり。諸佛の洪名を誦持し、仰いで合堂の眞宰に報ず。仰いで大衆を憑んで念ず)。

これよりのちは結夏の念誦におなじ。

陞堂罷、知事等、謝詞にいはく、伏喜法歳周圓、無諸難事。此蓋和尚道力廕林、下情無任感激之至(伏して喜すらくは法歳周圓し、もろもろの難事無かりしことを。此れ蓋し和尚道力の廕林なり、下情感激の至りに任へず)。

住持人謝詞いはく、此者法歳周圓、皆謝某[首座監寺]人等法力相資、不任感激之至(此者法歳周圓す、皆な某[首座監寺]人等の法力相資せるを謝す、感激の至りに任へず)。

堂中首座已下、寮中寮主已下、謝詞いはく、九夏相依、三業不善、惱亂大衆、伏望慈悲(九夏相依す、三業不善なり、大衆を惱亂せり。伏して望むらくは慈悲あらんことを)。

知事、頭首告云、衆中兄弟行脚、須候茶湯罷、方可隨意[如有緊急緣事、不在此限](知事、頭首告して云く、衆中の兄弟行脚せんには、須らく茶湯罷を候つて、方に隨意なるべし[如し緊急の緣事有らば、此の限りに在らず])。

この儀は、これ威音、空王の前際後際よりも頂𩕳量なり。佛祖のおもくすること、ただこれのみなり。外道天魔のいまだ惑亂せざるは、ただこれのみなり。三國のあひだ、佛祖の兒孫たるもの、いまだひとりもこれをおこなはざるなし。外道はいまだまなびず、佛祖一大事の本懷なるがゆゑに、得道のあしたより涅槃のゆふべにいたるまで、開演するところ、ただ安居の宗旨のみなり。西天の五部の僧衆ことなれども、おなじく九夏安居を護持してかならず修證す。震旦の九宗の僧衆、ひとりも破夏せず。生前にすべて九夏安居せざらんをば、佛弟子、比丘僧と稱ずべからず。ただ因地に修習するのみにあらず、果位の修證なり。大覺世尊すでに一代のあひだ、一夏も闕如なく修證しましませり。しるべし、果上の佛證なりといふこと。

しかあるを、九夏安居は修證せざれども、われは佛祖の兒孫なるべしといふは、わらふべし。わらふにたへざるおろかなるものなり。かくのごとくいはんともがらのこと葉をばきくべからず。共語すべからず、同坐すべからず、ひとつみちをあゆむべからず。佛法には、梵壇の法をもて惡人を治するがゆゑに。

ただまさに九夏安居これ佛祖と會取すべし、保任すべし。その正傳しきたれること、七佛より摩訶迦葉におよぶ。西天二十八祖、嫡嫡正傳せり。第二十八祖みづから震旦にいでて、二祖大祖正宗普覺大師をして正傳せしむ。二祖よりこのかた、嫡嫡正傳して而今に正傳せり。震旦にいりてまのあたり佛祖の會下にして正傳し、日本國に正傳す。すでに正傳せる會にして九旬坐夏しつれば、すでに夏法を正傳するなり。この人と共住して安居せんは、まことの安居なるべし。まさしく佛在世の安居より嫡嫡面授しきたれるがゆゑに、佛面祖面まのあたり正傳しきたれり。佛祖身心したしく證契しきたれり。かるがゆゑにいふ、安居をみるは佛をみるなり、安居を證するは佛を證するなり。安居を行ずるは佛を行ずるなり、安居をきくは佛をきくなり、安居をならふは佛を學するなり。

おほよそ九旬安居を、諸佛諸祖いまだ違越しましまさざる法なり。しかあればすなはち、人王、釋王、梵王等、比丘僧となりて、たとひ一夏なりといふとも安居すべし。それ見佛ならん。人衆、天衆、龍衆、たとひ一九旬なりとも、比丘比丘尼となりて安居すべし。すなはち見佛ならん。佛祖の會にまじはりて九旬安居しきたれるは見佛來なり。われらさいはひにいま露命のおちざるさきに、あるいは天上にもあれ、あるいは人間にもあれ、すでに一夏安居するは、佛祖の皮肉骨髓をもて、みづからが皮肉骨髓に換却せられぬるものなり。佛祖きたりてわれらを安居するがゆゑに、面面人人の安居を行ずるは、安居の人人を行ずるなり。恁麼なるがゆゑに、安居あるを千佛萬祖といふのみなり。ゆゑいかんとなれば、安居これ佛祖の皮肉骨髓、心識身體なり。頂𩕳眼睛なり、拳頭鼻孔なり。圓相佛性なり、拂子拄杖なり、竹箆蒲團なり。安居はあたらしきをつくりいだすにあらざれども、ふるきをさらにもちゐるにはあらざるなり。

世尊告圓覺菩薩、及諸大衆、一切衆生言、若經夏首三月安居、當爲淸淨菩薩止住。心離聲聞、不假徒衆。至安居日、卽於佛前作如是言。我比丘比丘尼、優婆塞優婆夷某甲、踞菩薩乘修寂滅行、同入淸淨實相住持。以大圓覺爲我伽藍、心身安居。平等性智、涅槃自性、無繋屬故。今我敬請、不依聲聞、當與十方如來及大菩薩、三月安居。爲修菩薩無上妙覺大因緣故、不繋徒衆。善男子、此名菩薩示現安居(世尊、圓覺菩薩、及び諸の大衆、一切衆生に告げて言はく、若し夏首より三月の安居を經ば、當に淸淨菩薩の止住たるべし。心、聲聞を離れて徒衆を假らざれ。安居の日に至りなば、卽ち佛前に於て是の如くの言を作すべし。我れ比丘比丘尼、優婆塞優婆夷某甲、菩薩乘に踞して寂滅の行を修す、同じく淸淨實相に入りて住持せん。大圓覺を以て我が伽藍と爲して心身安居せん。平等性智、涅槃自性、繋屬無きが故に。今我れ敬請す、聲聞に依らず、當に十方如來、及び大菩薩とともに、三月安居すべし。菩薩の無上妙覺大因緣を修せんが爲の故に、徒衆を繋せず。善男子、此れを菩薩の示現安居と名づく)。

しかあればすなはち、比丘比丘尼、優婆塞優婆夷等、かならず安居三月にいたるごとには、十方如來および大菩薩とともに、無上妙覺大因緣を修するなり。しるべし、優婆塞優婆夷も安居すべきなり。この安居のところは大圓覺なり。しかあればすなはち、鷲峰山、孤獨園、おなじく如來の大圓覺伽藍なり。十方如來及大菩薩、ともに安居三月の修行あること、世尊のをしへを聽受すべし。

世尊於一處、九旬安居、至自恣日、文殊倏來在會(世尊一處に九旬安居したまひしに、自恣の日に至つて、文殊倏ちに來つて會に在り)。

迦葉問文殊、今夏何處安居(迦葉文殊に問ふ、今夏何れの處にか安居せる)。

文殊云、今夏在三處安居(文殊云く、今夏三處に在つて安居せり)。

迦葉於是集衆白槌欲擯文殊。纔擧犍槌、卽見無量佛刹顯現、一一佛所有一一文殊、有一一迦葉、擧槌欲擯文殊(迦葉是に於て集衆し白槌して文殊を擯せんとす。纔かに犍槌を擧するに、卽ち無量の佛刹顯現し、一一の佛所に一一の文殊有り、一一の迦葉有り、擧槌して文殊を擯せんとするを見る)。

世尊於是告迦葉云、汝今欲擯阿那箇文殊(世尊是に於て迦葉に告げて云く、汝今阿那箇の文殊を擯せんとするや)。

于時迦葉茫然(時に迦葉茫然たり)。

圜悟禪師拈古云、

鐘不撃不響(鐘撃たざれば響かず)、

鼓不打不鳴(鼓打たざれば鳴らず)。

迦葉既把定要津(迦葉既に要津を把定すれば)、

文殊乃十方坐斷(文殊乃ち十方坐斷す)。

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正法眼藏第七十二 安居 · 5 · Shōbōgenzō (Treasury of the True Dharma Eye) — Dōgen · The Conscious Library