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Chapter 25 of 122

正法眼藏第十六 行持 上 · 5

しかあればすなはち、得道ののちも杉松などをうゑけるに、てづからみづから鍬柄をたづさへけるとしるべし。吾宗到汝大興於世、これによるべきものならん。栽松道者の古蹤、まさに單傳直指なるべし。黄檗も臨濟とともに栽樹するなり。黄檗のむかしは、捨衆して、大安精舍の勞侶に混迹して、殿堂を掃洒する行持あり。佛殿を掃洒し、法堂を掃洒す。心を掃洒すると行持をまたず、ひかりを掃洒すると行持をまたず。裴相國と相見せし、この時節なり。

唐宣宗皇帝は、憲宗皇帝第二の子なり。少而より敏黠なり。よのつねに結跏趺坐を愛す。宮にありてつねに坐禪す。穆宗は宣宗の兄なり。穆宗在位のとき、早朝罷に、宣宗すなはち戲而して、龍牀にのぼりて、揖群臣勢をなす。大臣これをみて心風なりとす。すなはち穆宗に奏す。穆宗みて宣宗を撫而していはく、我弟乃吾宗之英冑也(我が弟は乃ち吾が宗の英冑なり)。ときに宣宗、としはじめて十三なり。

穆宗は長慶四年晏駕あり。穆宗に三子あり、一は敬宗、二は文宗、三は武宗なり。敬宗父位をつぎて、三年に崩ず。文宗繼位するに、一年といふに、内臣謀而、これを易す。武宗卽位するに、宣宗いまだ卽位せずして、をひのくににあり。武宗つねに宣宗をよぶに癡叔といふ。武宗は會昌の天子なり。佛法を癈せし人なり。武宗あるとき宣宗をめして、昔日ちちのくらゐにのぼりしことを罰して、一頓打殺して、後花園のなかにおきて、不淨を潅するに復生す。

つひに父王の邦をはなれて、ひそかに香嚴禪師の會に參して、剃頭して沙彌となりぬ。しかあれど、いまだ不具戒なり。志閑禪師をともとして遊方するに、盧山にいたる。因に志閑みづから瀑布を題していはく、

穿崖透石不辭勞、

遠地方知出處高。

(崖を穿ち石を透して勞を辭せず、遠地方に知るぬ出處の高きことを。)

この兩句をもて、沙彌を釣他して、これいかなる人ぞとみんとするなり。沙彌これを續していはく、

谿澗豈能留得住、

終歸大海作波涛。

(谿澗豈能く留め得て住めんや、終に大海に歸して波涛と作る。)

この兩句をみて、沙彌はこれつねの人にあらずとしりぬ。

のちに杭州鹽官齊安國師の會にいたりて書記に充するに、黄檗禪師、ときに鹽官の首座に充す。ゆゑに黄檗と連單なり。黄檗、ときに佛殿にいたりて禮佛するに、書記いたりてとふ、不著佛求、不著法求、不著僧求、長老用禮何爲(佛に著いて求めず、法に著いて求めず、僧に著いて求めず、長老禮を用ゐて何にかせん)。

かくのごとく問著するに、黄檗便掌して、沙彌書記にむかひて道す、不著佛求、不著法求、不著僧求、常禮如是事(佛に著て求めず、法に著て求めず、僧に著て求めず、常に如是の事を禮す)。

かくのごとく道しをはりて、又掌すること一掌す。

書記いはく、太麁生なり。

黄檗いはく、遮裏是什麼所在、更説什麼麁細(遮裏は是れ什麼なる所在なればか、更に什麼の麁細をか説く)。

また書記を掌すること一掌す。

書記ちなみに休去す。

武宗ののち、書記つひに還俗して卽位す。武宗の癈佛法を癈して、宣宗すなはち佛法を中興す。宣宗は卽位在位のあひだ、つねに坐禪をこのむ。未卽位のとき、父王のくにをはなれて、遠地の谿澗に遊方せしとき、純一に辨道す。卽位ののち、晝夜に坐禪すといふ。まことに父王すでに崩御す、兄帝また晏駕す、をひのために打殺せらる。あはれむべき窮子なるがごとし。しかあれども、勵志うつらず辨道功夫す、奇代の勝躅なり、天眞の行持なるべし。

雪峰眞覺大師義存和尚、かつて發心よりこのかた、掛錫の叢林および行程の接待、みちはるかなりといへども、ところをきらはず、日夜の坐禪おこたることなし。雪峰草創の露堂堂にいたるまで、おこたらずして坐禪と同死す。咨參のそのかみは九上洞山、三到投子する、奇世の辨道なり。行持の淸嚴をすすむるには、いまの人おほく雪峰高行といふ。雪峰の昏昧は諸人とひとしといへども、雪峰の伶俐は、諸人のおよぶところにあらず。これ行持のしかあるなり。いまの道人、かならず雪峰の澡雪をまなぶべし。しづかに雪峰の諸方に參學せし筋力をかへりみれば、まことに宿有靈骨の功徳なるべし。

いま有道の宗匠の會をのぞむに、眞實請參せんとするとき、そのたより、もとも難辨なり。ただ二十、三十箇の皮袋にあらず、百千人の面面なり。おのおの實歸をもとむ、授手の日くれなんとす、打舂の夜あけなんとす。あるいは師の普説するときは、わが耳目なくしていたづらに見聞をへだつ。耳目そなはるときは、師またときをはりぬ。耆宿尊年の老古錐すでに拊掌笑呵呵のとき、新戒晩進のおのれとしては、むしろのすゑを接するたよりなほまれなるがごとし。堂奥にいるといらざると、師決をきくときかざるとあり。光陰は矢よりもすみやかなり、露命は身よりももろし。師はあれどもわれ參不得なるうらみあり、參ぜんとするに師不得なるかなしみあり。かくのごとくの事、まのあたりに見聞せしなり。

大善知識かならず人をしる徳あれども、耕道功夫のとき、あくまで親近する良緣まれなるものなり。雪峰のむかし洞山にのぼれりけんにも、投子にのぼれりけんにも、さだめてこの事煩をしのびけん。この行持の法操あはれむべし、參學せざらんはかなしむべし。

正法眼藏行持第十六 上

仁治癸卯正月十八日書寫了

同三月八日校點了 懷弉

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正法眼藏第十六 行持 上 · 5 · Shōbōgenzō (Treasury of the True Dharma Eye) — Dōgen · The Conscious Library