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Chapter 7 of 122

正法眼藏第三 佛性 · 4

且問儞、大潙、百丈しばらくきくべし。謗はすなはちなきにあらず、佛性は説得すやいまだしや。たとひ説得せば、説著を罣礙せん。説著あらば聞著と同參なるべし。また、大潙にむかひていふべし。一切衆生無佛性はたとひ道得すといふとも、一切佛性無衆生といはず、一切佛性無佛性といはず、いはんや一切諸佛無佛性は夢也未見在(夢にもまた未だ見ざること在る)なり。試擧看(試みに擧げて看よ)。

百丈山大智禪師示衆云、佛是最上乘、是上上智。是佛道立此人、是佛有佛性、是導師。是使得無所礙風、是無礙慧。於後能使得因果、福智自由。是作車運載因果。處於生不被生之所留、處於死不被死之所礙、處於五陰如門開。不被五陰礙、去住自由、出入無難。若能恁麼、不論階梯勝劣、乃至蟻子之身、但能恁麼、盡是淨妙國土、不可思議。(百丈山大智禪師、衆に示して云く、佛は是れ最上乘なり、是れ上上智なり。是れ佛道立此人なり、是れ佛有佛性なり、是れ導師なり。是れ使得無所礙風なり、是れ無礙慧なり。於後能く因果を使得す、福智自由なり。是れ車となして因果を運載す。生に處して生に留められず、死に處して死に礙へられず、五陰に處して門の開るが如し。五陰に礙へられず、去住自由にして、出入無難なり。若し能く恁麼なれば、階梯勝劣を論ぜず、乃至蟻子之身も、但能く恁麼ならば、盡く是れ淨妙國土、不可思議なり)。

これすなはち百丈の道處なり。いはゆる五蘊は、いまの不壞身なり。いまの造次は門開なり、不被五陰礙なり。生を使得するに生にとどめられず、死を使得するに死にさへられず。いたづらに生を愛することなかれ、みだりに死を恐怖することなかれ。すでに佛性の處在なり、動著し厭却するは外道なり。現前の衆緣と認ずるは使得無礙風なり。これ最上乘なる是佛なり。この是佛の處在、すなはち淨妙國土なり。

黄檗南泉在茶堂内坐。南泉問黄檗、定慧等學、明見佛性。此理如何。(黄檗南泉の茶堂の内に在つて坐す。南泉、黄檗に問ふ、定慧等學、明見佛性。此の理如何。)

黄檗云、十二時中不依倚一物始得。(十二時中一物にも依倚せずして始得ならん。)

南泉云く、莫便是長老見處麼。(便ち是れ長老の見處なることなきや。)

黄檗曰く、不敢。

南泉云、醬水錢且致、草鞋錢教什麼人還。(醬水錢は且く致く、草鞋錢は什麼人をしてか還さしめん。)

黄檗便休。(黄檗便ち休す。)

いはゆる定慧等學の宗旨は、定學の慧學をさへざれば、等學するところに明見佛性のあるにはあらず、明見佛性のところに、定慧等學の學あるなり。此理如何と道取するなり。たとへば、明見佛性はたれか所作なるぞと道取せんもおなじかるべし。佛性等學、明見佛性、此理如何と道取せんも道得なり。

黄檗いはく、十二時中不依倚一物といふ宗旨は、十二時中たとひ十二時中に處在せりとも、不依倚なり。不依倚一物、これ十二時なるがゆゑに佛性明見なり。この十二時中、いづれの時節到來なりとかせん、いづれの國土なりとかせん。いまいふ十二時は、人間の十二時なるべきか、他那裏に十二時のあるか、白銀世界の十二時のしばらくきたれるか。たとひ此土なりとも、たとひ他界なりとも、不依倚なり。すでに十二時中なり、不依倚なるべし。

莫便是長老見處麼といふは、これを見處とはいふまじやといふがごとし。長老見處麼と道取すとも、自己なるべしと囘頭すべからず。自己に的當なりとも、黄檗にあらず。黄檗かならずしも自己のみにあらず、長老見處は露廻廻なるがゆゑに。

黄檗いはく、不敢。

この言は、宋土に、おのれにある能を問取せらるるには、能を能といはんとても、不敢といふなり。しかあれば、不敢の道は不敢にあらず。この道得はこの道取なること、はかるべきにあらず。長老見處たとひ長老なりとも、長老見處たとひ黄檗なりとも、道取するには不敢なるべし。一頭水牯牛出來道吽吽(一頭の水牯牛出で來りて吽吽と道ふ)なるべし。かくのごとく道取するは、道取なり。道取する宗旨さらに又道取なる道取、こころみて道取してみるべし。

南泉いはく、醬水錢且致、草鞋錢教什麼人還。

いはゆるは、こんづのあたひはしばらくおく、草鞋のあたひはたれをしてかかへさしめんとなり。この道取の意旨、ひさしく生生をつくして參究すべし。醬水錢いかなればかしばらく不管なる、留心勤學すべし。草鞋錢なにとしてか管得する。行脚の年月にいくばくの草鞋をか踏破しきたれるとなり。いまいふべし、若不還錢、未著草鞋(若し錢を還さずは、未だ草鞋を著かじ)。またいふべし、兩三輪。この道得なるべし、この宗旨なるべし。

黄檗便休。これは休するなり。不肯せられて休し、不肯にて休するにあらず。本色衲子しかあらず。しるべし休裏有道は、笑裏有刀のごとくなり。これ佛性明見の粥足飯足なり。

この因緣を擧して、潙山、仰山にとうていはく、莫是黄檗搆他南泉不得麼(是れ黄檗他の南泉を搆すること得ざるにあらずや)。

仰山いはく、不然。須知、黄檗有陷虎之機(然らず。須く知るべし、黄檗陷虎之機有ることを)。

潙山いはく、子見處、得恁麼長(子が見處、恁麼に長ずること得たり)。

大潙の道は、そのかみ黄檗は南泉を搆不得なりやといふ。

仰山いはく、黄檗は陷虎の機あり。すでに陷虎することあらば、捋虎頭なるべし。

陷虎捋虎、異類中行。明見佛性也、開一隻眼。佛性明見也、失一隻眼。速道速道。佛性見處、得恁麼長(虎を陷れ虎を捋る。異類中に行く。佛性を明見しては一隻眼を開き、佛性明見すれば一隻眼を失す。速やかに道へ、速やかに道へ。佛性の見處、恁麼に長ずることを得たり)なり。

このゆゑに、半物全物、これ不依倚なり。百千物、不依倚なり、百千時、不依倚なり。このゆゑにいはく、籮籠一枚、時中十二。依倚不依倚、如葛藤倚樹。天中及全天、後頭未有語(籮籠は一枚、時中は十二、依倚も不依倚も、葛藤の樹に依が如し。天中と全天と、後頭未だ語あらず)なり。

趙州眞際大師にある僧とふ、狗子還有佛性也無(狗子にまた佛性有りや無や)。

この問の意趣あきらむべし。狗子とはいぬなり。かれに佛性あるべしと問取せず、なかるべしと問取するにあらず。これは、鐵漢また學道するかと問取するなり。あやまりて毒手にあふ、うらみふかしといへども、三十年よりこのかた、さらに半箇の聖人をみる風流なり。

趙州いはく、無。

この道をききて、習學すべき方路あり。佛性の自稱する無も恁麼なるべし、狗子の自稱する無も恁麼道なるべし、傍觀者の喚作の無も恁麼道なるべし。その無わづかに消石の日あるべし。

僧いはく、一切衆生皆有佛性、狗子爲甚麼無(一切衆生皆佛性有り、狗子甚麼としてか無き)。

いはゆる宗旨は、一切衆生無ならば、佛性も無なるべし、狗子も無なるべしといふ、その宗旨作麼生、となり。狗子佛性、なにとして無をまつことあらん。

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正法眼藏第三 佛性 · 4 · Shōbōgenzō (Treasury of the True Dharma Eye) — Dōgen · The Conscious Library