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Chapter 22 of 122

正法眼藏第十六 行持 上 · 2

塚間の一堆の塵土、あながちにをしむことなかれ、あながちにかへりみることなかれ。一志に度取せずば、たれかたれをあはれまん。無主の形骸いたづらに徧野せんとき、眼睛をつくるがごとく正觀すべし。

六祖は新州の樵夫なり、有識と稱じがたし。いとけなくして父を喪す、老母に養育せられて長ぜり。樵夫の業を養母の活計とす。十字の街頭にして一句の聞經よりのち、たちまちに老母をすてて大法をたづぬ。これ奇代の大器なり、拔群の辨道なり。斷臂たとひ容易なりとも、この割愛は大難なるべし、この棄恩はかろかるべからず。黄梅の會に投じて八箇月、ねぶらず、やすまず、晝夜に米をつく。夜半に衣鉢を正傳す。得法已後、なほ石臼をおひありきて、米をつくこと八年なり。出世度人説法するにも、この石臼をさしおかず、希世の行持なり。

江西馬祖の坐禪することは二十年なり。これ南嶽の密印を稟受するなり。傳法濟人のとき、坐禪をさしおくと道取せず。參學のはじめていたるには、かならず心印を密受せしむ。普請作務のところに、かならず先赴す。老にいたりて懈倦せず。いまの臨濟は江西の流なり。

雲巖和尚と道悟と、おなじく藥山に參學して、ともにちかひをたてて、四十年わきを席につけず、一味參究す。法を洞山の悟本大師に傳付す。

洞山いはく、われ、欲打成一片、坐禪辨道已二十年(一片に打成せんと欲して、坐禪辨道すること已に二十年なり)。

いまその道、あまねく傳付せり。

雲居山弘覺大師、そのかみ三峰庵に住せしとき、天廚送食す。大師あるとき洞山に參じて、大道を決擇して、さらに庵にかへる。天使また食を再送して師を尋見するに、三日をへて師をみることをえず。天廚をまつことなし、大道を所宗とす。辨肯の志氣、おもひやるべし。

百丈山大智禪師、そのかみ馬祖の侍者とありしより、入寂のゆふべにいたるまで、一日も爲衆爲人の勤仕なき日あらず。かたじけなく一日不作、一日不食のあとをのこすといふは、百丈禪師すでに年老臘高なり。なほ普請作務のところに、壯齡と同じく勵力す。衆、これをいたむ。人、これをあはれむ。師、やまざるなり。つひに作務のとき、作務の具をかくして師にあたへざりしかば、師、その日一日不食なり。衆の作務にくははらざることをうらむる意旨なり。これを百丈の一日不作、一日不食のあとといふ。いま大宋國に流傳せる臨濟の玄風ならびに諸方叢林、おほく百丈の玄風を行持するなり。

鏡淸和尚住院のとき、土地神かつて師顔をみることをえず、たよりをえざるによりてなり。

三平山義忠禪師、そのかみ天廚送食す。大巓をみてのちに、天神また師をもとむるに、みることあたはず。

後大潙和尚いはく、我二十年在潙山、喫潙山飯、屙潙山屙、不參潙山道。只牧得一頭水牯牛、終日露廻廻也(我れ二十年潙山に在て、潙山の飯を喫し、潙山の屙を屙し、潙山道に參ぜず。只一頭の水牯牛を牧得して、終日露廻廻なり)。

しるべし、一頭の水牯牛は二十年在潙山の行持より牧得せり。この師、かつて百丈の會下に參學しきたれり。しづかに二十年中の消息おもひやるべし、わするる時なかれ。たとひ參潙山道する人ありとも、不參潙山道の行持はまれなるべし。

趙州觀音院眞際大師從諗和尚、とし六十一歳なりしに、はじめて發心求道をこころざす。瓶錫をたづさへて行脚し、遍歴諸方するに、つねにみづからいはく、七歳童兒、若勝我者、我卽問伊。百歳老翁、不及我者、我卽教他(七歳の童兒なりとも、若し我れよりも勝れば、我卽ち伊に問ふべし。百歳の老翁も、我に及ばざれば、我卽ち他を教ふべし)。

かくのごとくして南泉の道を學得する功夫、すなはち二十年なり。年至八十のとき、はじめて趙州城東觀音院に住して、人天を化導すること四十年來なり。いまだかつて一封の書をもて檀那につけず。僧堂おほきならず、前架なし、後架なし。あるとき、牀脚をれき。一隻の燒斷の燼木を、繩をもてこれをゆひつけて、年月を經歴し修行するに、知事この牀脚をかへんと請ずるに、趙州ゆるさず。古佛の家風、きくべし。

趙州の趙州に住することは八旬よりのちなり、傳法よりこのかたなり。正法正傳せり、諸人これを古佛といふ。いまだ正法正傳せざらん餘人は師よりもかろかるべし、いまだ八旬にいたらざらん餘人は師よりも強健なるべし。壯年にして輕爾ならんわれら、なんぞ老年の崇重なるとひとしからん。はげみて辨道行持すべきなり。

四十年のあひだ世財をたくはへず、常住に米穀なし。あるいは栗子椎子をひろふて食物にあつ、あるいは旋轉飯食す。まことに上古龍象の家風なり、戀慕すべき操行なり。

あるとき衆にしめしていはく、儞若一生不離叢林、不語十年五載、無人換儞作啞漢、已後諸佛也不奈儞何(儞若し一生叢林を離れず、不語なること十年五載ならんには、人の儞を喚んで啞漢と作る無し、已後には諸佛も也不奈儞何ならん)。これ行持をしめすなり。

しるべし、十年五載の不語、おろかなるに相似せりといへども、不離叢林の功夫によりて、不語なりといへども啞漢にあらざらん。佛道かくのごとし。佛道聲をきかざらんは、不語の不啞漢なる道理あるべからず。しかあれば、行持の至妙は不離叢林なり。不離叢林は脱落なる全語なり。至愚のみづからは不啞漢をしらず、不啞漢をしらせず。阿誰か遮障せざれども、しらせざるなり。不啞漢なるを得恁麼なりときかず、得恁麼なりとしらざらんは、あはれむべき自己なり。不離叢林の行持、しづかに行持すべし。東西の風に東西することなかれ。十年五載の春風秋月、しらざれども聲色透脱の道あり。その道得、われに不知なり、われに不會なり。行持の寸陰を可惜許なりと參學すべし。不語を空然なるとあやしむことなかれ。入之一叢林なり、出之一叢林なり。鳥路一叢林なり、徧界一叢林なり。

大梅山は慶元府にあり。この山に護聖寺を草創す、法常禪師その本元なり。禪師は襄陽人なり。かつて馬祖の會に參じてとふ、如何是佛と。

馬祖云く、卽心是佛と。

法常このことばをききて、言下大悟す。ちなみに大梅山の絶頂にのぼりて人倫に不群なり、草庵に獨居す。松實を食し、荷葉を衣とす。かの山に少池あり、池に荷おほし。坐禪辨道すること三十餘年なり。人事たえて見聞せず、年暦おほよそおぼえず、四山靑又黄のみをみる。おもひやるにはあはれむべき風霜なり。

師の坐禪には、八寸の鐵塔一基を頂上におく、如載寶冠なり。この塔を落地却せしめざらんと功夫すれば、ねぶらざるなり。その塔いま本山にあり、庫下に交割す。かくのごとく辨道すること、死にいたりて懈倦なし。

かくのごとくして年月を經歴するに、鹽官の會より一僧きたりて、山にいりて拄杖をもとむるちなみに、迷山路して、はからざるに師の庵所にいたる。不期のなかに師をみる、すなはちとふ、和尚、この山に住してよりこのかた、多少時也。

師いはく、只見四山靑又黄(只四山の靑又黄なるを見るのみ)。

この僧またとふ、出山路、向什麼處去(出山の路、什麼の處に向ひてか去かん)。

師いはく、隨流去(流れに隨ひて去くべし)。

この僧あやしむこころあり。かへりて鹽官に擧似するに、鹽官いはく、そのかみ江西にありしとき、一僧を曾見す。それよりのち消息をしらず。莫是此僧否(是れ此の僧に莫ずや否や)。

つひに僧に命じて、師を請ずるに出山せず。偈をつくりて答するにいはく、

摧殘枯木倚寒林、

幾度逢春不變心。

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正法眼藏第十六 行持 上 · 2 · Shōbōgenzō (Treasury of the True Dharma Eye) — Dōgen · The Conscious Library