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Chapter 26 of 122

正法眼藏第十六 行持 下 · 1

眞丹初祖の西來東土は、般若多羅尊者の教敕なり。航海三載の霜華、その風雪いたましきのみならんや、雲煙いくかさなりの嶮浪なりとかせん。不知のくににいらんとす、身命ををしまん凡類、おもひよるべからず。これひとへに傳法救迷情の大慈よりなれる行持なるべし。傳法の自己なるがゆゑにしかあり、傳法の遍界なるがゆゑにしかあり。盡十方界は眞實道なるがゆゑにしかあり、盡十方界自己なるがゆゑにしかあり、盡十方界盡十方界なるがゆゑにしかあり。いづれの生緣か王宮にあらざらん、いづれの王宮か道場をさへん。このゆゑにかくのごとく西來せり。救迷情の自己なるゆゑに驚疑なく、怖畏せず。救迷情の遍界なるゆゑに驚疑せず、怖畏なし。ながく父王の國土を辭して、大舟をよそほうて、南海をへて廣州にとづく。使船の人おほく、巾瓶の僧あまたありといへども、史者失録せり。著岸よりこのかた、しれる人なし。すなはち梁代の普通八年丁未歳九月二十一日なり。

廣州の刺史蕭昂といふもの、主禮をかざりて迎接したてまつる。ちなみに表を修して武帝にきこゆる、蕭昂が勤恪なり。武帝すなはち奏を覽じて、欣悅して、使に詔をもたせて迎請したてまつる。すなはちそのとし十月一日なり。

初祖金陵にいたりて、梁武と相見するに、

梁武とふ、朕卽位已來、造寺寫經度僧、不可勝紀、有何功徳(朕卽位よりこのかた、造寺寫經度僧、勝げて紀すべからず、何の功徳か有る)。

師曰、竝無功徳(竝びに功徳無し)。

帝曰、何以無功徳(何の以にか功徳無き)。

師曰、此但人天小果、有漏之因。如影隨形、雖有非實(此れは但人天の小果、有漏の因なり。影の形に隨ふが如し、有りと雖も實に非ず)。

帝曰、如何是眞功徳(如何ならんか是れ眞の功徳なる)。

師曰、淨智妙圓、體自空寂。如是功徳、不以世求(淨智妙圓、體自ら空寂なり。是の如き功徳は、世を以て求めず)。

帝又問、如何是聖諦第一義諦(如何ならんか是れ聖諦第一義諦)。

師曰く、廓然無聖。

帝曰く、對朕者誰(朕に對する者は誰そ)。

師曰く、不識。

帝、不領悟。師、知機不契(帝領悟せず。師、機の不契なるを知る)。

ゆゑにこの十月十九日、ひそかに江北にゆく。そのとし十一月二十三日、洛陽にいたりぬ。嵩山少林寺に寓止して、面壁而坐、終日默然なり。しかあれども、魏主も不肖にしてしらず、はぢつべき理もしらず。

師は南天竺の刹利種なり、大國の皇子なり。大國の王宮、その法ひさしく慣熟せり。小國の風俗は、大國の帝者に爲見のはぢつべきあれども、初祖、うごかしむるこころあらず。くにをすてず、人をすてず。ときに菩提流支の訕謗を救せず、にくまず。光統律師が邪心をうらむるにたらず、きくにおよばず。かくのごとくの功徳おほしといへども、東地の人物、ただ尋常の三藏および經論師のごとくにおもふは至愚なり。小人なるゆゑなり。あるいはおもふ、禪宗とて一途の法門を開演するが、自餘の論師等の所云も、初祖の正法もおなじかるべきとおもふ。これは佛法を濫穢せしむる小畜なり。

初祖は釋迦牟尼佛より二十八世の嫡嗣なり、父王の大國をはなれて、東地の衆生を救濟する、たれのかたをひとしくするかあらん。もし、

祖師西來せずは、東地の衆生いかにしてか佛正法を見聞せん。いたづらに名相の沙石にわづらふのみならん。いまわれらがごときの邊地遠方の披毛戴角までも、あくまで正法をきくことをえたり。いまは田夫農父、野老村童までも見聞する、しかしながら祖師航海の行持にすくはるるなり。西天と中華と、土風はるかに勝劣せり、方俗はるかに邪正あり。大忍力の大慈にあらずよりは、傳持法藏の大聖、むかふべき處在にあらず。住すべき道場なし、知人の人まれなり。しばらく嵩山に掛錫すること九年なり。人これを壁觀婆羅門といふ。史者これを習禪の列に編集すれども、しかにはあらず。佛佛嫡嫡相傳する正法眼藏、ひとり祖師のみなり。

石門林間録云、菩提達磨、初自梁之魏。經行嵩山之下、倚杖於少林。面壁燕坐而已、非習禪也。久之人莫測其故。因以達磨爲習禪。夫禪那、諸行之一耳。何足以盡聖人。而當時之人、以之、爲史者、又從而傳於習禪之列、使與枯木死灰之徒爲伍。雖然、聖人非止於禪那、而亦不違禪那。如易出于陰陽、而亦不違乎陰陽(石門の林間録に云く、菩提達磨、初め梁より魏に之く。嵩山の下に經行し、少林に倚杖す。面壁燕坐するのみなり、習禪には非ず。久しくなりて人其の故を測ること莫し。因て達磨を以て習禪とす。夫れ禪那は、諸行の一のみなり。何ぞ以て聖人を盡すに足らん。而も當時の人、之を以てし、爲史の者、又從へて習禪の列に傳ね、枯木死灰の徒と伍ならしむ。然りと雖も、聖人はただ禪那のみ非ず、而も亦禪那に違せず。易の陰陽より出でて、而も亦陰陽に違せざるが如し)。

梁武初見達磨之時、卽問、如何是聖諦第一義(梁武初めて達磨を見し時、卽ち問ふ、如何ならんか是れ聖諦第一義)。

答曰、廓然無聖。

進曰、對朕者誰(朕に對する者は誰そ)。

又曰、不識。

使達磨不通方言、則何於是時、使能爾耶(使達磨方言に不通ならんには、則ち何ぞ是の時に於て、能くしかあらしむるにいたらんや)。

しかあればすなはち、梁より魏へゆくことあきらけし。嵩山に經行して少林に倚杖す。面壁燕坐すといへども、習禪にはあらざるなり。一卷の經書を將來せざれども、正法傳來の正主なり。しかあるを、史者あきらめず、習禪の篇につらぬるは、至愚なり、かなしむべし。

かくのごとくして嵩山に經行するに、犬あり、堯をほゆ。あはれむべし、至愚なり。たれのこころあらんか、この慈恩をかろくせん。たれのこころあらんか、この恩を報ぜざらん。世恩なほわすれず、おもくする人おほし、これを人といふ。祖師の大恩は父母にもすぐるべし、祖師の慈愛は親子にもたくらべざれ。

われらが卑賤おもひやれば、驚怖しつべし。中土をみず、中華にむまれず、聖をしらず、賢をみず、天上にのぼれる人いまだなし、人心ひとへにおろかなり。開闢よりこのかた化俗の人なし、國をすますときをきかず。いはゆるは、いかなるか淸、いかなるか濁としらざるによる。二柄三才の本末にくらきによりてかくのごとくなり。いはんや五才の盛衰をしらんや。この愚は、眼前の聲色にくらきによりてなり。くらきことは、經書をしらざるによりてなり、經書に師なきによりてなり。その師なしといふは、この經書いく十卷といふことをしらず、この經いく百偈、いく千言としらず、ただ文の説相をのみよむ。いく千偈、いく萬言といふことをしらざるなり。すでに古經をしり、古書をよむがごときは、すなはち慕古の意旨あるなり。慕古のこころあれば、古經きたり現前するなり。漢高祖および魏太祖、これら天象の偈をあきらめ、地形の言をつたへし帝者なり。かくのごときの經典あきらむるとき、いささか三才あきらめきたるなり。いまだかくのごとくの聖君の化にあはざる百姓のともがらは、いかなるを事君とならひ、いかなるを事親とならふとしらざれば、君子としてもあはれむべきものなり。親族としてもあはれむべきなり。臣となれるも子となれるも、尺璧もいたづらにすぎぬ、寸陰もいたづらにすぎぬるなり。かくのごとくなる家門にむまれて、國土のおもき職なほさづくる人なし、かろき官位なほをしむ。にごれるときなほしかあり、すめらんときは見聞もまれならん。かくのごときの邊地、かくのごときの卑賤の身命をもちながら、あくまで如來の正法をきかんみちに、いかでかこの卑賤の身命ををしむこころあらん。をしんでのちになにもののためにかすてんとする。おもくかしこからん、なほ法のためにをしむべからず、いはんや卑賤の身命をや。たとひ卑賤なりといふとも、爲道爲法のところにをしまずすつることあらば、上天よりも貴なるべし、輪王よりも貴なるべし、おほよそ天神地祇、三界衆生よりも貴なるべし。

しかあるに初祖は南天竺國香至王の第三皇子なり。すでに天竺國の帝胤なり、皇子なり。高貴のうやまふべき、東地邊國には、かしづきたてまつるべき儀もいまだしらざるなり。香なし、花なし、坐褥おろそかなり、殿臺つたなし。いはんやわがくには、遠方の絶岸なり、いかでか大國の皇をうやまふ儀をしらん。たとひならふとも、迂曲してわきまふべからざるなり。諸侯と帝者と、その儀ことなるべし、その禮も輕重あれどもわきまへしらず。自己の貴賤をしらざれば、自己を保任せず。自己を保任せざれば、自己の貴賤もともあきらむべきなり。初祖は釋尊第二十八世の附法なり。道にありてよりこのかた、いよいよおもし。かくのごとくなる大聖至尊、なほ師敕によりて身命ををしまざるは傳法のためなり、救生のためなり。眞丹國には、いまだ初祖西來よりさきに嫡嫡單傳の佛子をみず、嫡嫡面授の祖面を面授せず、見佛いまだしかりき。のちにも初祖の遠孫のほか、さらに西來せざるなり。曇花の一現はやすかるべし、年月をまちて算數しつべし、初祖の西來はふたたびあるべからざるなり。しかあるに、祖師の遠孫と稱ずるともがらも、楚國の至愚にゑうて、玉石いまだわきまへず、經師論師を齊肩すべきとおもへり。少聞薄解によりてしかあるなり。宿殖般若の正種なきやからは祖道の遠孫とならず、いたづらに名相の邪路に跉跰するもの、あはれむべし。

梁の普通よりのち、なほ西天にゆくものあり、それなにのためぞ。至愚のはなはだしきなり。惡業のひくによりて、他國に跉跰するなり。歩歩に謗法の邪路におもむく、歩歩に親父の家郷を逃逝す、なんだち西天にいたりてなんの所得かある。ただ山水に辛苦するのみなり。西天の東來する宗旨を學せずは、佛法の東漸をあきらめざるによりて、いたづらに西天に迷路するなり。佛法をもとむる名稱ありといへども、佛法をもとむる道念なきによりて、西天にしても正師にあはず、いたづらに論師經師にのみあへり。そのゆゑは、正師は西天にも現在せれども、正法をもとむる正心なきによりて、正法なんだちが手にいらざるなり。西天にいたりて正師をみたるといふたれか、その人いまだきこえざるなり。もし正師にあはば、いくそばくの名稱をも自稱せん。なきによりて自稱いまだあらず。

また眞丹國にも、祖師西來よりのち、經論に倚解して、正法をとぶらはざる僧侶おほし。これ經論を披閲すといへども經論の旨趣にくらし。この黒業は今日の業力のみにあらず、宿生の惡業力なり。今生つひに如來の眞訣をきかず、如來の正法をみず、如來の面授にてらされず、如來の佛心を使用せず、諸佛の家風をきかざる、かなしむべき一生ならん。隋唐宋の諸代、かくのごときのたぐひおほし、ただ宿殖般若の種子ある人は、不期に入門せるも、あるは算沙の業を解脱して、祖師の遠孫となれりしは、ともに利根の機なり、上上の機なり、正人の正種なり。愚蒙のやから、ひさしく經論の草庵に止宿するのみなり。しかあるに、かくのごとくの嶮難あるさかひを辭せずといはず、

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正法眼藏第十六 行持 下 · 1 · Shōbōgenzō (Treasury of the True Dharma Eye) — Dōgen · The Conscious Library